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(253)栗林公園 大茶会 (旧日暮亭除幕式)

栗林公園大茶会
旧日暮亭
「旧日暮亭」を紹介する看板の除幕式。
(左から)官休庵第14代千宗守氏、 高松松平家第14代松平頼武氏、
浜田恵造香川県知事

茶室「新日暮亭」の「旧日暮亭」への改名と一般公開3周年を記念して、改名式や記念茶会などが行われました。旧日暮亭は高松藩2代藩主・松平頼常の時代(1673~1704年)に建てられた官休庵の茶室。(参照:考槃亭)

旧日暮亭
栗林公園 古川所長

旧日暮亭

 改名式では、浜田知事が「旧日暮亭への改名を機に多くの人に歴史的な価値を知ってもらい、文化の香りを感じ取って頂きたい」と挨拶。看板の除幕式を行って改名を行いました。

旧日暮亭

 この日は、4流派による記念茶会が開かれ、掬月亭では、江戸時代の茶懐石料理も再現されました。また、旧日暮亭でも一般人が参加する茶席が、初めて行われました。
(4流派=武者小路千家・表千家・裏千家・石州流)

旧日暮亭

旧日暮亭

降蹲踞
降蹲踞

桶樋滝
桶樋滝

 また、記念フォーラムでは、高松松平家第14代当主の松平頼武氏や武者小路千家(官休庵)第14代家元の千宗守氏、浜田知事が出演し、栗林公園の魅力や今後のあり方などについて意見を交わしました。

商工奨励館
商工奨励館

鶴亀松(百石松)
鶴亀松(百石松)

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tag : 栗林公園 松平頼武 千宗守 官休庵

(123)讃史-伝説と神社 【36.松平 氏】

 生駒家没落の後、寛永十九(1643)年松平頼重東讃十二万石に封ぜられ高松に藩府を置き、
頼常・頼豊・頼桓・頼恭・頼眞・頼起・頼儀・頼恕・頼胤・頼聰
を経て、明治維新に至った。

 松平氏は、神社行政に最も意を用い、
金刀比羅宮の祀田三百三十石と
白鳥神社の祀田二百石とを、幕府に乞うて朱印地とし、
田村神社の兩部習合を廢し、
寛文年間には一村一社の制を定めて、小祠を合併し、
またしばしば領内の神社の由緒を調査せられている。

                    -縣神社史より
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高松松平

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tag : 高松 松平 松平頼重 朱印地 一村一社の制

(83)名家老 木村黙老 物語

たかまつ松平藩まちかど漫遊帳


木村黙老は、安永3(1774)年4月3日、5代藩主松平頼恭(よりたか)の時の名家老木村季明(すえあき)の孫として、高松城下二番丁屋敷(現高松工芸高校の西北隅あたり)で生まれました。名は亘る(わたる)、忌み名(死後にその人を尊んでつけた称号)は通明(みちあき)、通称は与総右衛門、黙老(もくろう)は雅号(ペンネーム)です。

黙老は、幼いときから西の丸学問所で学び、成績が格別に優れていたので藩主から褒美をもらい、その一年後に小姓役に取り立てられています。黙老は、和漢の学に通じ、また25才の頃、直真影流兵法(じきしんかげりゅう)の目録を授けられた武道の達人、まさに文武両道の人でした。そのうえ、唄や絵画も上手で芝居なども分かる人でした。

 文政4(1822)年5月、松平頼儀(よりのり)が病気で引退し、松平頼恕(よりひろ)が9代藩主の座に就きます。黙老は翌文政5年8月に書院番頭、その翌年3月には、国家老へと栄進します。50才でした。

 そのころの高松藩の財政は、余裕がなく困窮していました。あいつぐ旱魃による民衆の生活の苦労に加えて、世継ぎ松平頼胤(よりたね)の婚儀(将軍家から文姫(あやひめ)を迎えた)費用10万両、屋島山麓への東照宮社殿造営費14万両、江戸上屋敷火災に伴う再建費4万両などが重なり、加えて、これまでに積もった近畿の豪商からの借財50万両の返済に迫られていたのです。

 木村黙老は、『久米栄左衛門通賢(みちたか)』の意見を聞き入れて、坂出の塩田開発に取り組ませました。財政困窮のさなか、巨費を投じての工事には多くの異論もありましたが、黙老は藩主に進言して、反対意見を説得しました。工事は、わずか3年5ヶ月で文政12(1829)年8月に完成。経費2万両で、115町6反歩(約115Ha)という広大な塩田が造成されたのです。藩は、その後も塩田を広げ、年収は2000両にも上りました。

 この年の11月、木村黙老は江戸家老を命じられて江戸屋敷詰めとなります。そして、以前に久米通賢から意見が出されていた【砂糖為替制度】を採択、讃岐の糖業に大いに貢献しました。

 また、国家老『筧政典(かけいまさのり)』の協力を得て、枌所(そぎしょ)東村の錆田池を改修し、綾川町10ヶ村の灌漑用水を確保し、永富池と改称しました。

 こうして、10年ほどの間に五穀は豊かに実り、砂糖・塩などの特産品の生産は増大し、藩の財政はおおいに改善され幕末には180万両の蓄えとなる礎を作りました。

【讃岐三白】砂糖・塩・米   高松松平藩
     cf.棉(綿)・塩・米 丸亀京極藩

 木村黙老が、江戸家老になったことから、忙しい政務のかたわらで、日々思いついたことや出来事などを書き留めるようになりました。

 江戸では、当時劇作家として人気を博していた『滝沢馬琴』と交わるようになり、文筆活動はますます盛んになったようです。

 その時に書き留めた文章は、「聞くままの記」と題してまとめ、製本されました。文政10(1827)年頃から20年余りにわたって書き続けた「聞くままの記」は、「続・聞くままの記」と合わせて83冊にもなりました。その中で特に多いのが、歌舞伎や芝居などに関する事柄です。

 なかには、嘉永6(1853)年、ペリーが率いるアメリカ合衆国の軍艦と蒸気船4隻で浦賀へやってきた重大なニュースもあります。大きな鉄の軍艦や蒸気船を初めて見た人々は「黒船だ。黒船が来たぞ。」と、幕府から庶民にいたる人々の驚きとあわてぶりを狂歌にしたものが「続・聞くままの記」に書かれています。

             ― 高松市歴史資料館

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tag : 木村黙老 頼恭 黙老 頼儀 頼恕 久米栄左衛門通賢 滝沢馬琴 砂糖為替制度

(81)高松城のあらまし

『讃州さぬきの高松さまの城が見えます波の上』と歌われている高松城は天正16(1588)年生駒親正公が築城に着手し、生駒家4代54年間、松平家11代228年間(初代は水戸光圀の兄、松平頼重)にわたり居城した城郭の一部で、全国でもまれな水城(海城)として有名です。

 園内(総面積約8万㎡)には、3層5階の天守閣がそびえ、要所には約20の櫓があってその威容を誇っていましたが、現在では艮櫓、月見櫓、渡櫓および水手御門が残り、いずれも重要文化財の指定を受けています。

 また、庭園には緑したたる老松、名木が立ち並ぶ中に石燈籠、手水鉢、大飛石等が配置され、昔の大名の権勢がしのばれます。

 松平藩時代の披雲閣は、政庁・住居として使用されてきましたが、現在、事務所のある披雲閣は、大正時代に建てられたもので、茶会・舞などで広く一般に利用されています。

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