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(250)大禹謨 (だいうぼ)


大禹謨

栗林公園は、元香東川の東の流れの河床であったが、寛永年間(1630年頃)に、西嶋八兵衛西嶋之友)が香東川の改修を行った後、大名庭園として本格的な築庭があったとされています。

 この石碑は、その香東川の改修を行った西嶋八兵衛が、書経にある中国古代の大聖夏の禹王の遠大なる「はかりごと」にあやかり、大禹謨を自ら書いて香川町大野に鎮斎していたものを保全と顕彰のため、昭和37年7月7日に香東川とゆかりの深い栗林公園に移したものです。

大禹謨
大禹謨の石碑
  高さ 58cm
  幅  20cm
  重さ 39.6kg

大禹謨
讃岐の水に対する感謝から、大禹謨への献茶が行われました

来年、平成24年が「大禹謨」の碑の発見されてから100年となります。また、その碑が栗林公園に鎮座してから50年の節目の年を迎える。「大禹謨」の言葉は、中国の四書五経の一つである「書経」の中に見られ、中国黄河の治水に尽くした夏王朝の祖「禹王」の大なるはかりごととして書かれています。

栗林公園
栗林公園(商工奨励館)この中庭に碑がある。

西嶋八兵衛之友

西嶋八兵衛之友(にしじま ゆきとも)
藤堂藩きっての能吏で、城和奉行をつとめた西嶋八兵衛は、慶長元年(1596)に遠州浜松で生まれた。本名は之尤(ゆきとも)、のちに之友と改めた。
 慶長十七年、駿府において藤堂采女元則の肝煎により、禄一五〇石で藤堂高虎に召し抱えられた。元和元年(1615)の大阪冬・夏の陣では、高虎の側近として、主に記録方を担当。その後、高虎が縄張りの任に当たった二条城や大坂城の増修築工事では、絶えず身近で右筆として仕え、為政の手法や、土木技術を修得するという機会に恵まれた。
 元和七年(1621)、讃岐国の藩主、生駒正俊が36歳で死んだ。正俊の妻は高虎の養女であったが、その子高俊が11歳の若さで家督を継いだため、祖父である高虎が高俊の後見人として生駒家の内政に関与。そこで高虎はまず腹心の八兵衛を讃岐国へ派遣した。
 その後、八兵衛は一旦津藩へ帰るが、寛永二年(1625)の讃岐大旱魃で再び生駒家へ派遣され(禄高 二千石)、土木技術に長じていたので、四年間で数多くのため池の築造・復興を成し遂げた。同六年(1629)、老齢で病気がちとなった高虎は、自分の身近にと八兵衛を江戸へ呼び返したが、高俊の岳父で老中の土井利勝の強い要請で三たび讃岐の治世に当たることになった。翌七年、高虎が死去。同八年には三年の歳月をかけた満濃池の修復工事が完成。つづいて洪水の氾濫で課題となっていた香東川の改修工事を竣功させた八兵衛は、名実ともに讃岐の一大恩人として顕彰される人物となった。
 正保二年(1645)、八兵衛は藤堂高次に禄一千石で召された。一時、江戸家老をつとめたが、翌三年に旱魃があり、山畑新田や美濃波多新田の開墾、雲出井手の開築などを手がけた。慶安元年(1648)には藩の山城大和を管括する城和奉行を仰せつかって、その後、約三十年にわたって城和の民生に力を注ぎ、奉行記録『萬大控』を残した。85歳で死去。上野市紺屋町の正崇寺に眠る。

大禹謨 西嶋八兵衛之友
大禹謨 藤堂高虎の祐筆であった西嶋八兵衛之友の筆と伝わる。




ちなみに、
書経にはその体裁によって以下のようなものがあります。

(こう) - 君主の臣下に対する言葉
(ぼ) - 臣下の君主に対する言葉
- 君主が民衆に対する宣誓の言葉
- 冊命(さくめい)あるいは君主の命令の言葉
- 重要な歴史的事件のあらましが書かれたもの


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tag : 栗林公園 大禹謨 西嶋八兵衛 西嶋之友 四書五経 禹王 書経

(241)栗林園二拾詠(青葉士弘)

特別名勝 栗林公園
栗林園
昭和28年3月に全国で8番目に特別名勝の指定を受けた回遊式大名庭園で、約22万8千坪の最大面積を有する日本を代表する名園です。
文化財保護法で、現在特別名勝の指定を受けている庭園は、大名庭園六、寺院庭園十三、その他庭園四の合せて二十三庭園です。

栗林園二十詠青葉士弘
約250年前に高松松平藩の儒学者、青葉士弘が藩主の第五代松平頼恭公の命により園内の名所を詩に詠んだ。
明和七年九月十一日

一、脩竹岡(シュウチクキュウ)
栗林園

修竹長岡に被り 濃陰碧流に映ず
高人来りて嘯詠す 応に此の君の為に留るべし

二、芙蓉沼(フヨウショウ)
栗林園
時に芙蓉沼を過ぐれば 芙蓉一様に開く
斜陽短棹の外 紅袖花に入って来る

三、戞玉亭(カツギョクテイ)
戞玉亭中の景 清泉戞玉流る
一觴復一詠 以って春愁を洗う可し
(現存しない)
栗林園
旧日暮亭
栗林園
降蹲踞(オリツクバイ)

四、西湖(セイコ)
栗林園
青春佳興を携え 小艇花林を過ぐ
昨夜連山の雨 今朝湖水深し
栗林園
西湖の赤壁(せきへき)

栗林園
桶樋滝(おけどいのたき)

五、栖霞亭(ケイカテイ)
此の亭中の幽なるを愛す 綵霞日に映じて開く
新花復新緑 時に酒杯を照す有り
(現存しない)
栗林園
日暮亭
栗林園

六、會仙巌(カイセンガン)
栗林園
真仙何か此に来る 
巌は余す会仙の名
風は鳳笙の響を伝え
雨は弾棋の声を作す
栗林園

七、飛猿巌(ヒエンガン)
栗林園
木屐高嶺に上れば 薜蘿秋色清し
清風深林の外 落日猿聲を聴く
栗林園

八、考槃亭(コウハンテイ)
茲の亭考槃と字く 時の碩人の軸有り
絃管の喧しきを用いず 淡然幽谷に坐す
(現存しない)

九、芙蓉峰(フヨウホウ)
栗林園
茲の山士峰に類す 峰勢自ら奇絶
峰頭萬樹の花 宛然六月雪

十、天女島(テンニョトウ)
栗林園
孤島水の中央 神祠花木深し
雲雨の変を為さず 時々鳴琴を弾ず

十一、楓岸(フウガン)
栗林園
峰傍萬樹の楓 紅葉好寓目
水に映じ復山に映ず 帰鳥敢て宿らず

十二、留春閣(ルシュンカク)
桃李三月の時 留春此の閣に讌す
唯百囀の鶯有り 慇懃君恩を謝す
(現存しない)

十三、百花園(ヒャッカエン)
栗林園
名園百深し 花を看て暝を覚えず
公来って然時に題す 明月花径を照す
(現存しない)現在は、茶畑

十四、鹿鳴原(ロクメイゲン)
栗林園
晴日呦(ゆう)々の鹿 平原春草新なり
笙を吹き復(また)瑟(ひつ)を鼓す 以て嘉賓を燕(えん)す可し

十五、梅林(バイリン)
栗林園
数歩梅行を為す 萬朶の花雪の如し
一夜月林に満つ 花と清潔を争う

十六、涵翠池(カンスイチ)
栗林園
池は千山の翠を涵し 雲樹清流に映ず
時に春風の転ずる有り 有魚枝上に浮ぶ

十七、南湖(ナンコ)
栗林園
南湖明月の夜 此に来って好し船を行らん
恍として似たり仙客を挈え 槎に乗る雲漢の辺

栗林園

栗林園

十八、掬月楼(キクゲツロウ)
栗林園
湖上清風来る 細雨夜来歇む
此の高楼の中を愛し 坐して東山の月を掬す
栗林園
掬月亭
栗林園
根上り五葉松

十九、睡龍潭(スイリュウタン)
栗林園
棹して過ぐ睡龍潭 朦朧昼開かず
雲雨をして至らしむる莫れ 是珠を採りて来らず
栗林園
小譜陀

二十、飛來峰(ヒライホウ)
栗林園
栗林園中の勝 飛來峰に過ぐる無し
下に甫田の道有り 春耕を老農に問う
栗林園


庭園と公園
栗林公園は、室町時代から江戸時代中期に作庭された『南庭』と江戸時代中期から明治時代にかけて作庭された『北庭』の二つから構成されている為、それぞれ趣が異なります。

南庭』は、室町・江戸時代と伝わる『栗林荘』『御林』と呼ばれてきた大名庭園の傑作として誇れる日本でも数少ない『盆栽庭園』の雰囲気を醸し出すところから、周りの風景も現代建物とか見えないよう隔離し、古来からの景観を維持していきたいものです。

それに比べ『北庭』は、明治初期にかけて作庭された歴史があるため、『公園』として周りのビル風景に溶け込んで、より一般に楽しめる公園としての雰囲気を持っています。

栗林園
箱松

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genre : 地域情報

tag : 栗林園 仙磯 青葉士弘 西島八兵衛 小堀遠州 紀太理平 春山夜月

(238)大名庭園サミット  特別名勝 栗林公園

江戸の大名達が作った大名庭園・・・「権力の象徴」そして「社交」と「礼儀」の場であった「大名庭園」ですが、今は訪れる人の心をふっと優しく癒してくれる場所となっています。

 そんな大名庭園、四季折々の風情を楽しめるだけでなく、ひとつひとつの石に池にそして木に意味があるともいわれています。
掬月亭(殿様の茶室からの風景)
掬月亭(殿様の茶室からの風景)

10月22日・23日と香川県の栗林公園では第5回大名庭園サミットが行なわれ、これからの時代に新たに発信する大名庭園の魅力も語られます。




栗林園の特色
1.全国の日本式庭園の中で下記の庭園の四要素全部備えている。
 ①草の庭 (自然そのままの庭-栗林園では、紫雲山)
 ②行の庭 (人工合理主義の庭)
 ③真の庭 (合理主義の極地を行きながら、自然に溶け込んでいく庭)
 ④枯山水の庭 (水を用いずして河・海を表し、山を用いずして山を表す)

2.純日本式庭園で遠州流の回遊式大名庭園で自然の美しい風土に調和し、朝・昼・夜・晴天・雨天を問わず瀬戸内の四季を彩る県民性を表現している。

3.美しい背景を持つことが日本庭園の特色であり、栗林園も隣接する紫雲山の自然を借景にしている。(銀閣寺の東山、天龍寺の嵐山、大徳寺の比叡山、修学院の北山など)

4.香東川の川の流れを変え庭園を造ったため伏流水が豊富で、その湧水を利用して作庭されている。(吹上、偃月橋の下、西湖の会仙巌の北西部)

5.規模が大きく、四面の流水を巡らす耕造となっている。

6.六大水局(六つの池)、十三大山岐(十三の丘)と配置の巧みさ

7.木石の雅趣(箱松、鶴亀松、根上がり樫、蘇鉄林、根上がり五葉松などにより園自体が盆栽庭園)

8.薬草園、平賀源内が整備した百花園(ホルトの木、人参木、ムクロジ茶園、橘園、梅園)

9.神仙思想に基づく庭造り(南湖、楓嶼、杜鵑嶼、天女島、仙磯)

10.陰陽術・五行の序・風水説に則った作庭

 
特別名勝 栗林公園
芙蓉峰から北湖・梅林橋を望む( 右は前嶼 / 後方は紫雲山 )




栗林公園内最大の茶室 掬月亭の名前の由来

春山夜月
 『掬水月在手 弄花香満衣』 
(水を掬すれば月は手にあり 花を弄すれば香は衣に満つ)
という詩句を南宋の虚堂智愚(きょどうちぐ)という禅僧が禅の教えに引用した為、禅語として広まりこの茶室に名付けられたと伝わっています。

その意味は、
月と花は本来いつどこにでもある真理の象徴として存在するが、月は掌で掬ったとき掌にあり、花は触れてこそ香りが伝わるため、実践してはじめて真理に触れるということだそうです。

藩政時代、
歴代の高松藩主がこの茶室で、客人と盃に 『  』 を浮かべて酒を酌み交わしたと伝わっています。(掬月)

庭園と公園
栗林公園は、室町時代から江戸時代中期に作庭された『南庭』と江戸時代中期から明治時代にかけて作庭された『北庭』の二つから構成されている為、それぞれ趣が異なります。

南庭』は、室町・江戸時代と伝わる『栗林荘』『御林』と呼ばれてきた大名庭園の傑作として誇れる日本でも数少ない『盆栽庭園』の雰囲気を醸し出すところから、周りの風景も現代建物とか見えないよう隔離し、古来からの景観を維持していきたいものです。

それに比べ『北庭』は、明治初期にかけて作庭された歴史があるため、『公園』として周りのビル風景に溶け込んで、より一般に楽しめる公園としての雰囲気を持っています。





栗林公園 鹿鳴原
鹿鳴原
晴日呦(ゆう)々の鹿 平原春草新なり
笙を吹き復(また)瑟(ひつ)を鼓す 以て嘉賓を燕(えん)す可し

ラジオ番組
  香川発 ごゆるり参られよ !
   なんと素敵な 大名庭園 


平成22年10月23日(土)18:00~20:00 生放送
中四国ラジオ8局ライブネット
(=西日本放送、南海放送、高知放送、四国放送、中国放送、山陽放送、山陰放送、山口放送)


番組では大名庭園サミット情報は勿論、ミシュラングリーンガイドの三ツ星にも選ばれた室町時代の小譜陀に端を発し、生駒時代の西島八兵衛を経て、高松松平藩時代に完成する『特別名勝 栗林公園』、そして、丸亀京極家がふるさとに思いを馳せ近江八景を庭園に表現した『中津万象園』という2つの大名庭園が堪能できます。




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tag : 栗林公園 中津万象園 大名庭園サミット 春山夜月 大名庭園

(211)特別名勝栗林公園(伝統芸能交流)Ritsurin Garden

歴史が育んだ古都金沢高松の伝統芸能公演がありました。  
(栗林公園 掬月亭 平成22年4月25日)

Special Beauty Spot RitsurinGarden
RitsurinGarden,a Daimyo's garden was designated as the 8th special beauty spot in Japan in March,1953.It is the largest,representative“Kaiyushiki-teien"(landscape garden designated for strolling through) in the country.
Under the Cultural Properties Protection Act,at present,a total of 23 gardens have been classified as special beauty spots. Of these,6 are Daimyo gardens and 13 are temple gardens.


江戸時代高松藩・松平家と加賀藩・前田家の間で交流があったといわれる高松金沢。以来続く文化交流をより発展させようと両地域の交流促進に向けて、香川県に駐在する企業の支社長などを中心とした「笑狸会」の有志会員が県と協力して、今回栗林公園で「栗林公園と兼六園の友好交流」をテーマに伝統芸能公演を行い、兼六園のある金沢から一流の地方(じかた)や芸妓(げいこ)を招き、加賀百万石の文化を紹介しました。


高松
高松松平藩十二万石
能:宝生流
茶道:武者小路千家
漆器:讃岐漆器
庭園:栗林公園

金沢
加賀前田藩百万石
能:加賀宝生流
茶道:裏千家
漆器:輪島塗
庭園:兼六園

※江戸時代からの両藩の交流は、明治時代まで続き、染井に居を構えた高松松平氏に加賀前田氏から宝生流の能舞台が贈られました。この能舞台は、現在横浜市に移設され文化的に貴重な舞台として人気があります。

掬月亭
栗林公園の掬月亭
借景:紫雲山

掬月亭(金沢芸妓)
掬月亭(金沢 一舞一管)
掬月亭(金沢 一舞一管)
掬月亭(金沢 一舞一管)

上方舞(吉村ゆきその)小唄白扇
上方舞(吉村ゆきその)小唄白扇

掬月亭(金沢芸妓)
掬月亭(金沢芸妓)兼六園・金沢小唄・さわぎ

掬月亭(金沢芸妓)お座敷太鼓
掬月亭(金沢芸妓)お座敷太鼓

掬月亭(殿様の茶室からの風景)
掬月亭(殿様の茶室からの風景)




特別名勝 栗林公園
昭和28年3月に全国で8番目に特別名勝の指定を受けた回遊式大名庭園で、最大面積を有する日本を代表する名園です。
文化財保護法で、現在特別名勝の指定を受けている庭園は、大名庭園6、寺院庭園13、その他庭園4の合せて23庭園です。

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tag : 特別名勝 栗林公園 宝生流 RitsurinGarden 金沢 高松 笑狸会

(178)特別名勝 栗林公園がミシュランガイド最高の三ッ星認定!

  特別名勝 栗林公園が、ミシュラングリーンガイド・ジャポン2009 で最高の三つ星に認定 !  
                    ※特別名勝=お庭の国宝

【パリ14日共同】訪れるべき観光地を星印で格付けするフランスのガイドブック、ミシュランの観光版(ギード・ベール)日本編が16日、発売される。ホテル・レストランのガイドは2007年から東京版が登場、観光地に関しても同年に簡易版が発売されていたが、ギード・ベールの発行は今回が初めて。香川県内の栗林公園や京都、奈良などが最高評価の三つ星に選定された。

 三つ星の基準は「わざわざ訪れる価値のある場所」。日光、法隆寺、姫路城、安芸の宮島など、既に外国人観光客にも人気のスポットに加え、沖縄・石垣島の川平湾などの名勝地も選ばれた。東京郊外のハイキングコースとして親しまれている高尾山も選定された。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 編集長によると、三つ星には全部で56カ所、二つ星189カ所、一つ星301カ所が選ばれた。このほかに星なしで言及された名勝地も多数ある。

Special Beauty Spot Ritsurin Garden
Ritsurin Garden,a Daimyo's garden was designated as the 8th special beauty spot in Japan in March,1953.It is the largest,representative“Kaiyushiki-teien"(landscape garden designated for strolling through) in the country.
Under the Cultural Properties Protection Act,at present,atotal of 23 gardens have been classified as special beauty spots. Of these,6 are Daimyo gardens and 13 are temple gardens.

ミシュラン・グリーン・ジャポン2009

ミシュラングリーンガイド・ジャポン2009に選ばれた主な三つ星観光地
※中四国では、栗林公園以外にも岡山の後楽園、広島の宮島、島根の足立美術館、愛媛の道後温泉の五ヶ所が同時に選ばれています。

 香川県内では栗林公園以外に、二つ星に家プロジェクト、琴平、一つ星に直島、ベネッセハウス、地中美術館、四国村が入っている。

 執筆に当たったのは、フランス人と日本人計12人の混成チーム。数カ月かけて日本全国をくまなく歩き回ったほか、日本政府観光局からも情報提供を受けた。

 昨年、日本を訪れたフランス人観光客は14万7600人で07年から7%増加。日本製ゲームなどの普及や、すしを中心とする和食ブームもあり、日本への関心は年々高まっている。

 ギード・ベールは9カ国語で325種類、150万部が発行される欧州では特に有名なガイドブック。今回発売の日本編はフランス語版だが、今年9月には英語版も刊行される。日本語版の発行は未定という。
                             (四国新聞 記事より)

栗林公園 仙磯
特別名勝 栗林公園 仙磯の石 (せんぎ の いわ)
南湖の中央に『仙磯』という石組みを築く作庭技法は、共に藤堂高虎の家臣であり、娘婿であった西島八兵衛が『栗林公園』に、小堀遠州が『仙洞御所』に演出した日本で二箇所しか残されていない風景です。水面下の数百個にも及ぶ石に支えられたこの石組みには、自分が残した最高の庭園に仙人ですら呼び込もうとした(神仙思想)日本庭園を極めた両巨匠の心意気を表現しています。

(伊勢津藩出身の西島八兵衛は、満濃池の修復、香東川の流域変更など人生の大部分を讃岐にささげてくれた讃岐の恩人です。)

 左上に見える掬月亭とよばれる茶室は、中国唐時代の詩人干良史(うりょうし)の「春山夜月(しゅんざんやげつ)」という詩の一節により名付けられたそうです。 また、星辰信仰(天神信仰)の象徴として北斗七星の形をイメージして作られたところから、『星斗館』(せいとかん)とも呼ばれていました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

讃岐の庭園
讃岐には、江戸時代ふるさとに思いを馳せた京極家が近江八景を表現した丸亀の『中津万象園』と能楽『海人(あま)』龍の玉取り伝説を表現した、室町時代に細川勝元が作庭、重森三玲が修復した志度寺の庭園があります。讃岐の庭園三部作、讃岐にお立ち寄りの折は、是非お楽しみ下さい。

※丸亀京極藩中津万象園は、メセナアワード2006庭園文化賞を受賞しています。
中津万象園


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(86)大名庭園 栗林荘【栗林公園】

栗林公園



 日本には、全国に38の大名庭園が残っており、その中で『特別名勝』とよばれているのは8庭園です。特に、水戸の「偕楽園」、金沢の「兼六園」、岡山の「後楽園」は、日本三大庭園といわれています。しかし、大正9年文部省発行高等小学読本巻一には、「我が国にて風致の美を以て世に聞えたるは水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園にして之を日本の三公園と称す。然れども高松の栗林公園は木石の雅趣却つて批の三公園に優れり。」と書かれています。

Special Beauty Spot Ritsurin Garden
Ritsurin Garden,a Daimyo's garden was designated as the 8th special beauty spot in Japan in March,1953.It is the largest,representative“Kaiyushiki-teien"(landscape garden designated for strolling through) in the country.
Under the Cultural Properties Protection Act,at present,atotal of 23 gardens have been classified as special beauty spots. Of these,6 are Daimyo gardens and 13 are temple gardens.


 高松の栗林荘(今は、栗林公園と呼ばれているが、江戸時代まではこの名であった。また、御城に対して御林とも呼ばれた。)は、香川県が世界に誇る観光資源の筆頭です。現在の総面積は、約23万5千㎡という広大なものであるが、そこには室町時代から長い歴史とたくさんの人々の英知・苦労の下に成り立っています。

栗林公園は南から北に向かって造られている。南庭は室町時代後期から江戸時代の中期、そして北庭は江戸時代後期から明治時代中期にかけて整備されたため、南庭は栗林荘で、北庭が栗林公園といっても好いほど雰囲気が異なる。故に、南庭からは、外部のビルは絶対見えては駄目で、北庭は外部のビルが見えても妙に馴染んでいる。大変不可思議な雰囲気を醸し出している公園です。

【栗林荘の作庭・改修・維持の歴史】

日本庭園の起源
①古代の庭園
 日本書紀の推古天皇の20(612)年、百済の帰化人・路子工(みちのこ のたくみ又の名をしこまろ)が飛鳥の小墾田宮(おはりだのみや)の南庭 に須弥山(すみせん)の形と呉橋(欄干のある橋)をつくった。飛鳥川の 傍に家を立て、庭中に小池・小島を作ったとことに始まると記されて いる。

②栗林の背景
 本来わが国の、自然が極めて美しく、柔らかく、この自然の中に家を 営み、自然に溶け込んでゆくところに日本人の生活があり、そこに借 景の意義がある。大自然そのものを背景とし、素材とし、姿麗しい紫 雲山の存在を条件として『栗林荘』の位置が選定され、築庭されたの は、世界に類のない美しさと驚嘆するものである。

日本庭園の定義
 草の庭・・・人工的なものを一切加えない自然のままの庭(紫雲山)

 行の庭・・・人間の知性・合理主義の極地を加えた庭

 真の庭・・・合理主義を目指しながら、自然を破壊しない庭

 枯山水の庭

 この4つが合わさるところに、日本庭園の美学がある。



栗林荘の仙磯の岩(栗林公園物語のおいちさんからお借りしました)

 湖面に岩の頭を一部除かせているこの『仙磯の岩』という造園の形式は、大変めずらしく、湖面の下には数百とも云われる石組みの上に成り立っている。これは、仙人が山から降りて、水辺で遊ぶところをイメージして造られたもので、伊勢・津藩の藤堂家の造園の思想を反映し『西島八兵衛』が取り入れたと考えられます。
  日本庭園で『仙磯の岩』が、見られるのは他には京都の『仙洞御所』だけで、この造園者が、『小堀遠州』です。
西島八兵衛』は、『小堀遠州』と同郷の上、才女も『藤堂高虎』の息女を頂くという義兄弟です。

 また、高松松平藩初代藩主『松平頼重公』は、水戸藩時代の若かりし折、京都で暮らし後水尾天皇・千宗守・紀太(きた)理兵衛など数々の文化人と交流があったことが後の高松藩の文化に大きく影響しました。


 ◆皇居(江戸城)の北の丸庭園(大奥の庭園)を散策していると、栗林荘を歩いているような気がするそうです。これも、北の丸庭園を造園したのが、藤堂家だったからかもしれません。

たかまつ松平藩まちかど漫遊帳


南隈池から南湖を眺める。借景は紫雲山




仙人の化身?

仙磯の岩に舞い降りた鷺



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高松松平藩

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tag : 栗林公園 西島八兵衛 松平頼重 小堀遠州 仙洞御所 日本庭園 御林

(80)西嶋八兵衛 物語

西島八兵衛


慶長 元(1596)年 西嶋八兵衛 遠州浜松にて出生
慶長17(1612)年 伊勢・津藩主 藤堂高虎に仕える 17才 150石
元和 元(1615)年 大坂夏の陣に従う        20才 200石
元和 5(1619)年 京都二条城築城・大坂城修築    24才 300石

藤堂高虎は、生駒家三代藩主生駒正俊に実娘を嫁がした。しかし、正俊は元和7(1621)年三十六才で病死した。残された遺児高俊は、わずか三才であった。生駒藩政のため、母方の祖父『藤堂高虎』(伊勢・伊賀32万石)が後ろだてとなりました。高虎は、元和8(1621)年娘婿の『西島八兵衛』を直々に讃岐に派遣した。西島八兵衛は一旦伊勢に帰りますが、本格的な援助の為、寛永2(1625)年生駒藩の奉行として来讃した。

 しかし、讃岐の国は寛永元(1624)年ひどい日照りで米が取れず、翌年も百日近く日照りが続き、農民は旱魃で日々の暮らしにも困り、藩も年貢米の徴収が出来ませんでした。このように、讃岐は常に水不足が起こり、旱魃に襲われる土地柄でしたから、その対策が急を要しました。

 この対策の為、寛永2(1625)年に土木・水利・経済そして書道にも優れた西島八兵衛を再度来讃を依頼、翌年、江戸に呼ばれましたが、三度も讃岐を訪れました。以後、寛永16(1639)年真での14年間、藩主高俊の下で普請奉行と郡奉行を務めました。

 寛永4(1628)年、高松に小田池(川部町)を、寛永5(1628)年には三郎池(三谷町)と満濃池の改修工事を始めました。そして、寛永8(1631)年満濃池の改修を完成、寛永12(1635)年神内池(西植田町)を築き、他にも90余りのため池をつくりました。

 池を築く他にも、寛永14(1637)年、高松の松島から新川までの間に堤防を築き、福岡・木太に春日新田、その東に百石新田を開きました。

 また、寛永の頃まで香東川は香川郡大野の西で川筋が二股に分かれ、しばしば氾濫を起こしていました。一つの流れは、御坊川の川筋で、もう一つは現在の香東川です。これを、現在の香東川に固定し、寛永8~9(1631~2)年、改修工事の完成を記念し、中国の古い諺に習い『大禹謨』(だいうぼ)の石碑を大野・中津の堤防に建てました。西嶋八兵衛が、『大禹謨』に託した中国の古い諺「夏の国の禹王のように、水を治める者は、国を治める」のように讃岐の水を治めました。
 そして、香東川の東の流れの河床に回遊式庭園『栗林荘』を築きます。
 
 その結果、生駒藩初代親正のとき17万石余りであったのが、23万石余りと、6万石も増えました。また、藤堂藩の考えを、生駒藩に伝える重要な役職に就き、二千石の禄と鉄砲30人、新田270石と並外れた生駒藩の家老と同等の扱いを受けていました。

 さらに、西嶋八兵衛は「生駒騒動」の前年の寛永16(1639)年に、伊勢の津に帰っています。すでに、生駒藩の内情に通じた動きと考えられます。その後、生駒家の国替えの時には、幕府城受け役人に案内役を命じられ、提出した讃岐の領地の説明書や正確な地図に役人も感心したということです。
        -高松市歴史資料館より


【高松に、日本で初めて上水道を引いたのは西島八兵衛の弟子の矢延平六です。】
【西島八兵衛は、生駒藩時代に三度、生駒藩国替え後に幕命により一度来讃しています。】
矢延平六は、西島八兵衛から大工の棟梁約三十人を引き継ぎ、上水道を二ヵ月で造りました。彼ら、約六百人の大工が住んだところが大工町です。】

    高松上水   -1643年(寛永20年)普請

【江戸に、初めて上水道を引いたのも西島八兵衛です。】

玉川浄水   -1653~1656       普請  
    神田用水(掛樋)-1658~1661(現:水道橋) 普請

 矢延平六は、平池の普請を行ったが、身分が低かったため、師の西島八兵衛が江戸に帰ったあと後ろ盾がいなかったため、藩のやっかみ勢力から讒言に遭い、他国に追放される。
 しかし、池の普請で矢延平六を慕った地元民は、追放される平六の後を半里余りも変装してついていきました。

 これが、現在も香川町に残る『ひょうげまつり』の起源とされる。

西嶋八兵衛』とその弟子の『矢延平六』は、讃岐の国にとって大恩人です。
たかまつ松平藩まちかど漫遊帳


西嶋八兵衛を彩る人たち
藤堂高虎(祖父)
藤堂高次(叔父)
生駒正俊(叔父)
小堀遠州(叔父)
藤堂高刑(義父)

矢延平六(弟子)
松尾芭蕉(伊賀上野出身の芭蕉も、江戸に行く折、同郷の西島八兵衛を頼った    ということです)
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西嶋八兵衛の業績

 藤堂藩きっての能吏で、城和奉行をつとめた西嶋八兵衛は、慶長元年(1596)に遠州浜松で生まれた。本名は之尤(ゆきとも)、のちに之友と改めた。
 慶長十七年、駿府において藤堂采女元則の肝煎により、禄一五〇石で藤堂高虎に召し抱えられた。元和元年(1615)の大阪冬・夏の陣では、高虎の側近として、主に記録方を担当。その後、高虎が縄張りの任に当たった二条城や大坂城の増修築工事では、絶えず身近で右筆として仕え、為政の手法や、土木技術を修得するという機会に恵まれた。
 元和七年(1621)、讃岐国の藩主、生駒正俊が36歳で死んだ。正俊の妻は高虎の養女であったが、その子高俊が11歳の若さで家督を継いだため、祖父である高虎が高俊の後見人として生駒家の内政に関与。そこで高虎はまず腹心の八兵衛を讃岐国へ派遣した。
 その後、八兵衛は一旦津藩へ帰るが、寛永二年(1625)の讃岐大旱魃で再び生駒家へ派遣され、土木技術に長じていたので、四年間で数多くのため池の築造・復興を成し遂げた。同六年(1629)、老齢で病気がちとなった高虎は、自分の身近にと八兵衛を江戸へ呼び返したが、高俊の岳父で老中の土井利勝の強い要請で三たび讃岐の治世に当たることになった。翌七年、高虎が死去。同八年には三年の歳月をかけた満濃池の修復工事が完成。つづいて洪水の氾濫で課題となっていた香東川の改修工事を竣功させた八兵衛は、名実ともに讃岐の一大恩人として顕彰される人物となった。
 正保二年(1645)、八兵衛は藤堂高次に禄一千石で召された。一時、江戸家老をつとめたが、翌三年に旱魃があり、山畑新田や美濃波多新田の開墾、雲出井手の開築などを手がけた。慶安元年(1648)には藩の山城大和を管括する城和奉行を仰せつかって、その後、約三十年にわたって城和の民生に力を注ぎ、奉行記録『萬大控』を残した。85歳で死去。上野市紺屋町の正崇寺に眠る。




藤堂虎高
生没年:
父:
妻:(父:藤堂忠高)
娘(鈴木弥右衛門妻)
高則
1556-1630 高虎
娘(山岡直則および渡辺守妻)
高清
正高
娘(藤堂高経室)

藤堂高刑
生没年:1577-1615
父:鈴木弥右衛門
通称:仁右衛門
1600 関ヶ原の戦い
1614 大坂冬の陣
1615 大坂夏の陣
妻:(父:織田信清、義父:伊勢津藩初代藩主 藤堂高虎

藤堂高虎
生没年:1556-1630
父:藤堂虎高
幼名:与吉
与右衛門
1570 姉川の戦い
1587 正五位下
1587 佐渡守
1600 関ヶ原の戦い
1600-1608 伊予今治藩主
1608-1630 伊勢津藩初代藩主
1614 大坂冬の陣
1615 大坂夏の陣
1615 従四位下
左近衛権少将
和泉守
正室:久芳院(父:一色義直)
正室:松寿院(父:長連久)
1602-1676 高次
高重
娘(蒲生忠郷および専修寺堯朝室)
娘(藤堂忠季室)
娘(岡部桂賢室)
娘(生駒正俊室)
娘(小堀政一室)
1579-1670 (養子)高吉
(養子)娘(父:織田信清、藤堂高刑妻)



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tag : 西嶋八兵衛 生駒高俊 藤堂高虎 満濃池 香東川 大禹謨 矢延平六

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