(132)県社 冠纓神社 由緒
香川郡井原郷由佐村大字由佐字三ノ原
御祭神・・・仲哀天皇・応神天皇・神功皇后
由緒・・・貞観3(861)年に僧円珍(智証大師)が国中を巡歴して井原郷に至る。
その時、月見原の松林に毎夜光を発するものがあった。
円珍が、そこに行ってみると、白髪の老翁がいて、「私は鳩峰大自在王菩薩である。この地に鎮座して井原郷民を護ろう。」と云われた。
そこで、円珍は里人の力を借り祠を建て法楽を営むと、一条の白気が東方から飛来してこの祠にはいった。
後に、一宇を営み弟子の真蓮にその祠を司らせた。これが宝蔵寺である。
延文2(1357)年細川頼之が、岡蔵人行業の館滞在し、岡館を造営し、当社を厚く尊崇し、石清水八幡宮の冠纓を納めた。
それ以来、冠纓神社と呼ばれた。
頼之が、四国平定をするため、出陣の度に必ず奉幣して戦勝を祈願した。貞治2(1363)年の春、将軍足利義詮の命により伊予の河野氏を攻めるにあたり、戦勝を祈願して大勝した。そこで神廟を造営、報賽の祭りを行い、また頼之の誕生日が四月三日だったので、毎年祭祀を行い「右馬頭市」と呼ばれた。当時の社殿は、讃岐一であった。
天文八年十月細川晴元が伊予河野氏を攻めた時、頼之の先例により戦勝を祈願し、凱旋後社殿を再興し、同二十年に奉加帳を納めたものが神庫の蔵している。
細川氏が衰えて後、由佐氏がこれを引き継ぎ、天正年間に由佐秀武が領地を失うまで崇敬された。
後、生駒親正が社領を寄進。
松平頼重も社領を寄進。
明治元年 郷社。
明治三十四年本殿以下を改築。
明治四十年九月二十一日 神饌幣帛料供進神社に指定。
大正七年十一月二十六日 県社に昇格。
大正八年一月に改めて神饌幣帛料供進の指定があった。
平成十八年十月八日 秋季例大祭(六年ぶりの大獅子復活)

冠纓神社の森(月見原)東方より

冠纓神社の鳥居と石段

冠纓神社神社本殿の様子

冠櫻神社本殿の中

大獅子待機! これは雄獅子。 雌獅子もいます。

大獅子の由緒

境内の様子

獅子舞奉納1 ゆたんの競演始まる

獅子舞ゆたんの競演2

獅子舞ゆたんの競演3

獅子舞ゆたんの競演4

冠纓神社は安倍晴明の出身地(陰陽石)"

大獅子奉納は五十名以上いないと出来ません

いよいよ大獅子の出番!
香南町池内地区の皆さんよろしくお願いします。

(131)牟礼郷 郷社 白羽神社 由緒
牟礼村大字牟礼字岡
御祭神・・・誉田別命・足仲彦命・息長足姫命
合祀 ・・・経津主神・大山津見神・原山祇神・木花佐久夜姫命・須佐野男神・事代主命・
鹿屋野比売命・闇山祇神・菅原道真公
【由 緒】
創建・・・文明年間(1469〜1487)室町時代
楠窪神と称せられる。
牟礼郷の主であった中村加賀守氏宗が神示によって現在地に遷座し、白羽八幡宮と称する。
氏宗が、病で生死をさまよう中、夢に老翁が現れ自分は八幡大神であると告げたという。夢から覚め、感激し、心身を清め礼拝すると病が治った。
氏宗は、奉賽の為神殿を造営しようとすると、また夢に白箭が東から飛んできて城北の林の中にはいった。これも神示とその地を訪ねると白箭があったので、ここに社殿を造営し、楠窪神社を奉還し、拝殿、下拝殿、衛門を建立して、白羽八幡宮と奉称した。
−縣神社史(昭和十三年現在)より
(84)坂田郷 郷社 鶴尾神社 由緒
坂田郷 郷社 鶴尾神社 鷺田村大字坂田字北山浦
ご祭神 ― 応神天皇
菟道稚郎子命(うじのわきいらつこ)
気長足姫命(神功皇后)
大同元年(806)の創祀
元慶3(879)年 霊鶴の奇瑞があり、『鶴尾八幡宮』と奉称する 坂田氏族の氏神として応神天皇を祀る
延暦22(803)年 坂田氏が宿禰(すくね)姓を賜る
弘仁 4(813)年 坂田氏が朝臣(あそん)姓を賜る
仁和元(885)年 讃岐国司『菅原道真』が当社を坂田村土居原 (現在の東南七〜八丁)に奉遷。 新たに社殿を営築し、土居の宮と称せられる。
※菅原道真も近くの橋詰屋形に住む。
元禄4(1691)年 現在地に、社殿を造営し、遷座奉賽し、 鶴尾八幡宮と復称する。
明治28(1889)年社殿造営
明治40(1907)年神饌幣帛料供進神社に指定。
平成18(2006)年4月 創祀1200年祭
※菟道稚郎子命を御祭神としている神社は、全国で四社しかない。 宇治神社(うじ) 京都府宇治市 野木神社(のぎ) 栃木県野木町 前鳥神社(さきとり) 神奈川県平塚市 鶴尾神社(つるお) 香川県高松市
菟道稚郎子命と兄の仁徳天皇(末子相続の終焉) 空位三年
応神天皇は、末子相続の習慣で天皇の位についた。
次の、第16代の天皇には、長男である仁徳天皇はが継いでいる。 ⇒この時点で、日本は天皇をはじめ他の人まで末子相続から、長子相続に変わった。
古事記は、上巻で天地開闢から鵜葦草葦不合命(うがやふきあえずのみこと)まで中巻で初代の神武天皇から15代の応神天皇まで下巻で16代の仁徳天皇から推古天皇までの事柄を書いている。
中巻と下巻の区切りは、相続の仕方が変わったからかもしれない。
古事記 日本に現存する最古の歴史書で全三巻からなる。
和銅5(712)年 稗田阿礼(ひえだのあれい)が、天武天皇の命で誦習した帝紀及び先代の旧辞を 太安萬侶(おおのやすまろ)が、元明天皇の命で編纂して献上した。






