(77)桃太郎神社(熊野神社) 由緒
鬼無の鬼無たるルーツは鬼無城にある。鬼無には古代からヒトが住み、今岡古墳群からは貴重な資料が出土している。
鬼無城は讃岐の東部に君臨していた香西氏の出城であり室町時代に鬼無兵庫(香西兵庫ともいう)がこの城を護っていたと言われる。
元亀、天正(1570-1592)年間の勝賀城と鬼無城の図会が香西寺に残っている。香西寺には埋蔵金に関する伝説もあり鬼無の地に金の茶釜が眠っているかもしれない。
その数年後にこれらの城は焼き払われている。豊臣方の四国の雄であった長宗我部元親(1529-1599)にこれらの城は攻撃を受け、四国は豊臣方で土佐の長宗我部によって平定されたと考えられる。
城を焼き払われた鬼無兵庫ら一党は山頂の城を逃れ麓の山辺の地に姓を四宮に変え代代鬼無権現(現桃太郎神社)と関連を持って武士を捨て農民、神官としてひっそりとその地を開墾し生計を立てたと考えられる。
鬼無城は讃岐の東部に君臨していた香西氏の出城であり室町時代に鬼無兵庫(香西兵庫ともいう)がこの城を護っていたと言われる。
元亀、天正(1570-1592)年間の勝賀城と鬼無城の図会が香西寺に残っている。香西寺には埋蔵金に関する伝説もあり鬼無の地に金の茶釜が眠っているかもしれない。
その数年後にこれらの城は焼き払われている。豊臣方の四国の雄であった長宗我部元親(1529-1599)にこれらの城は攻撃を受け、四国は豊臣方で土佐の長宗我部によって平定されたと考えられる。
城を焼き払われた鬼無兵庫ら一党は山頂の城を逃れ麓の山辺の地に姓を四宮に変え代代鬼無権現(現桃太郎神社)と関連を持って武士を捨て農民、神官としてひっそりとその地を開墾し生計を立てたと考えられる。









