(71)中間郷社 山崎八幡神社 由緒
中間郷社 山崎八幡神社(円座村大字山崎字井手上)
祭神・・・応神天皇 (相殿 大国主命)
由緒・・・勧請は、城州山崎。地名の山崎はここから。
古くは、東面して鎮座したが、社前の道を乗馬にて過ぎるときは必ず落馬して身を損なったため、
天和三年(1683)五月に南面に改造。(棟札が現存)
天明二年(1782)・・・宝蔵修補の際、棟梁選定で争論あり。その折、中間村政所役の尾崎甚兵衛敷武に三夜に及ぶ霊夢があり宝蔵の修理が成就。
寛政(1789)年間八月・・祭礼で氏子が座席を争い、恒例の祭日を延期した折、社前の石鳥居が風もないのに折れたため、神意の戒めと氏子らにより、祭礼を執行。
寛延二年(1749)・・・上拝殿・下拝殿改築。
寛延三年(1750)九月七日・・藩主の松平頼恭の息女長姫が参拝し、神鏡一面を奉献。
明治四十年(1907)九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定。
大正十一年(1922)・・本殿・幣殿改築。御饌殿・渡廊下新築。
昭和八年(1933)・・・社務所改築、齋館新築。
例祭日 ・・・十月十三日
氏子区域・・・川岡村大字岡本、円座村大字山崎、檀紙村大字中間・大字檀紙
祭神・・・応神天皇 (相殿 大国主命)
由緒・・・勧請は、城州山崎。地名の山崎はここから。
古くは、東面して鎮座したが、社前の道を乗馬にて過ぎるときは必ず落馬して身を損なったため、
天和三年(1683)五月に南面に改造。(棟札が現存)
天明二年(1782)・・・宝蔵修補の際、棟梁選定で争論あり。その折、中間村政所役の尾崎甚兵衛敷武に三夜に及ぶ霊夢があり宝蔵の修理が成就。
寛政(1789)年間八月・・祭礼で氏子が座席を争い、恒例の祭日を延期した折、社前の石鳥居が風もないのに折れたため、神意の戒めと氏子らにより、祭礼を執行。
寛延二年(1749)・・・上拝殿・下拝殿改築。
寛延三年(1750)九月七日・・藩主の松平頼恭の息女長姫が参拝し、神鏡一面を奉献。
明治四十年(1907)九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定。
大正十一年(1922)・・本殿・幣殿改築。御饌殿・渡廊下新築。
昭和八年(1933)・・・社務所改築、齋館新築。
例祭日 ・・・十月十三日
氏子区域・・・川岡村大字岡本、円座村大字山崎、檀紙村大字中間・大字檀紙



