(1)童話のふるさと香川県 桃太郎・かぐや姫・浦島太郎

香川県には、古代さぬきの国から伝わっている童話が、中讃の桃太郎、東讃のかぐや姫、西讃の浦島太郎があります。
《香川の県名の由来》
香川県は、香川県と讃岐という二つの呼び方がされてきました。
「さぬき」という国名(コクメイ)は、「古事記」にみえています。「古事記伝」では「竿調国」(サオツキノクニ)という言葉の縮まったものといわれ、飯依比古(イイヨリヒコ)の国を賜った手置帆負命(タオキホオイノミコト)は、矛・竿(ホコ・サオ)を八百本つくり貢物(ミツギモノ)としたので、竿調国といい、国名もそれにもとづくといわれます。
また、中国の「宋書(そうじょ)」倭国伝には、「倭の五王」讃・珍・済・興・武が、宋に倭国王の称号を求め、それぞれに与えたと記録されている。
讃王=仁徳天皇という説があり、この地は領地だったとも言われています。それ故、天皇の弟、宇邇若郎子命を祀った神社も多く見うけられます。
讃岐は東西に長く、南北に短いところから「佐貫」(サヌキ)と書いたともいわれています。
讃岐の美しい山や海の姿をたたえ、「万葉集」(マンヨウシュウ)に、
玉藻(タマモ)よし讃岐の国は、国がらか見れども飽かぬ と、詠われています。
※玉藻は、讃岐の枕詞でした。
香川県は讃岐一国を含み、四国の東北に扇形に突き出した半島です。その向こうには青畳のような美しい瀬戸内海がひらけています。
内海(ナイカイ)には大小多数の島々が散在しています。南には讃岐山脈の山々が展望されます。面積は四国はもとより、全国で最も小さな県です。
香川という県名は、明治四年(1871)につけられました。その由来は、香東川からでているといわれ、『南海通記』(ナンカイツウキ)という書物に、「この川の上流、樺かわに香木(コウボク)あり、水清く、西風(セイフウ)匂いきてこの河水に、薫(クン)ずる故に、香川と云う」とあります。 −香川の歴史ものがたりより


田村大神倭迹迹日百襲姫命
(たむらのおおかみ やまと ととひ ももそひめのみこと)
所蔵:讃岐一宮 田村神社(旧 国幣中社)
讃岐一宮 桃太郎伝説
作 四国学院大学教授 上村良介
みなさんは桃太郎の話を知っているでしょうか。
むかしむかしあるところに、で始まるおとぎ話。桃から生まれた桃太郎がイヌとサルとキジをお供に鬼ヶ島に鬼退治に行くという有名なお話です。
でもいまからお話しする桃太郎はちょっと違います。実はあの桃太郎にはお姉さんがいたというのです。そのお姉さんの名前は倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)といい、さぬきの国、いまの香川県の高松市に住んでいたというのです。
では、お話ししましょう。讃岐一宮 桃太郎伝説。
むかしむかし、あるところに(というのは、さぬきの国ということですが)、ももそ姫という、美しい、ですが大変気丈な女の人がいました。
ある日のこと、そのももそ姫が川のほとりを散歩していると(その川は、いまの鬼無のあたりを流れている本津川だったといいます)、上のほうから大きな桃がドンブラコドンブラコと流れてきました。ももそ姫は不思議に思い、その桃をうちに持って帰り、切ってみると、そのなかから玉のような男の子が出てきました。
ももそ姫は、天から与えられた自分の弟だと思い、その子に桃太郎という名前をつけて大切に育てることにしました。
桃太郎はどんどん大きくなっていきましたが、大変力持ちの上にわんぱくで、近所の子とケンカばかりしていました。
その日も何人もの子どもとケンカして、「勝った勝った」と大いばりで帰ってきたのですが、たまりかねたももそ姫は桃太郎を呼んでこう叱りました。
「桃太郎や。わたしはいままであなたを、天からの授かりものとして弟のように育ててきました。あなたには人並みはずれた力と知恵と勇気があります。そのどれも、あなたがこの世界で大きな仕事をするために、天がお与えになったものです。なのに、あなたはその力をイタズラやケンカというつまらないことばかりに使っている。恥ずかしいとは思いませんか」
桃太郎はももそ姫の話にじっと聞き入っていましたが、突然ももそ姫の前に両手をついてこういいました。
「わかりました。たしかにわたしが間違っていました。ですが、わたしはこの力をどうやって使っていいのかわかりません。わたしはこれからどうすればいいのでしょうか、教えてください、お姉さん」
ももそ姫はしばらく考えて、こう答えました。
「それはわたしにもわかりません。たぶんそれはだれに言われるのではなく、自分で見つけださなければならないことなのです。桃太郎や。いまから旅に出なさい。その旅のなかで、きっとおまえはおまえのしなければならないことを見つけだすでしょう」
こうしてももそ姫は桃太郎を送り出し、桃太郎は旅に出ることになりました。
しばらく旅を行くと、雉ヶ谷というところに出ました(これはいまの鬼無の佐料というところです)。そこの人々はみな弓の名人で、雉の名のように空から敵を倒すことに優れていました。
桃太郎がその地に足を踏み入れると、雉ヶ谷の人々は桃太郎の大らかで勇敢な人となりにすっかり心を奪われ、家来になりたいと申し出ました。
またしばらく行くと、今度は猿王という場所に出ました(これはいまの綾歌郡綾南町、陶というところです)。
猿王の人々は手先が器用で、火を自在に操る焼き物師の一族で、陶器の壺をつくるなどして暮らしていました。猿王の人たちも桃太郎のことを気に入り、桃太郎のために力になることを約束しました。
次に桃太郎が立ち寄ったのは、犬島という島で、ここの人たちは船を操ることがとても上手でした(犬島は、いまの岡山市の沖合いにある島です)。犬島の人々も桃太郎の志を知り、大いに感銘を受けたのです。
おとぎ話に出てくるキジ、サル、イヌとは、この雉ヶ谷、猿王、犬島の人たちのことなのです。
さて、桃太郎は旅の先々で、困っている村や悲しみに暮れている人々をたくさん見かけました。それというのも、鬼ヶ島に住んでいる鬼たちが、あちらこちらの村を襲い、財産を奪ったり、人をさらったりしているというのです。
ここでいう鬼とは、じつは海賊のことで、鬼ヶ島というのはいまの高松の沖にある女木島・男木島のことです。
桃太郎はようやく自分のしなければならないことに気づきました。それは鬼どもを退治して、村々に平和をもたらすことです。そのためにこそ、自分の力や知恵を使うべきだと思い至ったのです。
こうして桃太郎は鬼退治(海賊のことですね)に出かけることにしました。そこに集まってきたのが雉ヶ谷や猿王、犬島の人たちです。みんなで力を合わせて鬼ヶ島に向かうことになりました。
鬼ヶ島では鬼たちが待ちかまえています。犬島の人たちは巧みに船を操り、桃太郎たちを島に運んでいきます。島に近づいたころを見計らって、雉ヶ谷の人たちが弓矢で射かけます。鬼どもは慌てふためきましたが、それでも桃太郎たちに攻め寄せてきます。そこに猿王の人たちのつくった大きな壺に入れた油を流します。鬼たちは油に足を取られて、スッテンコロリン、転んでしまいます。さあ、次にその油に火をつけたのだからたまりません。鬼たちはただ逃げまどうばかりで、為す術を知りません。
桃太郎はというと、手当たり次第に鬼たちを投げ飛ばし、ねじ伏せ、最後に鬼の大将を捕まえて「さあ、降参するか」と迫ります。
鬼の大将は「降参です、降参です。もう悪いことはいたしません」と泣いてあやまりました。
桃太郎はついに自分の役目を見つけだし、それを見事に果たしたのです。帰りの船には鬼たちが奪った金銀財宝が山のように積まれています。
桃太郎がうちに帰り着くと、ももそ姫が目にいっぱい涙を溜めて迎えてくれました。
「さあ、こんなにいっぱい財宝を取ってきたよ。お姉さんはどれが欲しい」
そう、桃太郎が聞くと、ももそ姫は、
「いいえ、桃太郎。その財宝は奪われた村の人たちのもの、お返ししなければなりません」
「でも、そうしたらお姉さんへのお土産がなにもなくなるよ」
「そんなことはありません。こうして無事に、大きく成長して帰ってきた、桃太郎。あなたこそがわたしへのお土産です。そして、それはどんな金銀財宝より大切なわたしの宝なのですよ」
めでたしめでたし。
というお話ですが、いかがでしたか。もちろんおとぎ話ですから、このお話はあくまでつくりものです。ただ、桃太郎のモデルになった吉備津彦(きびつひこ)という人と桃太郎のお姉さんとされる倭迹迹日百襲姫という人は、実際にいたともいわれています。
そのお二人を神さまとしてお祀りしているのが、高松市の一宮町にある田村神社です。その田村神社では毎年二月三日には節分祭が盛大に催されていますが、節分の「鬼は外」はもしかしたら、桃太郎の鬼退治とどこかでつながってるのかもしれませんね。
―-四国学院大学教授 上村良介 讃岐桃太郎伝説より―
倭迹迹日百襲姫命(ももそ姫)は、大和の国から八歳の時、讃岐の引田(安戸の浦)に着き、御殿を水主に造営(今の水主神社)。この地で土地の人に弥生米をあたえて、米作り又水路を開き、雨祈も行なった。ももそ姫の働きにより讃岐東部は安定した暮らしができた。
その後、讃岐全体に影響力を持つため、馬篠の艪掛けの松から船出、一時仏生山の船岡山に滞在した後、一宮の田村神社に住まいを移し、この地で吉備の国平定にあたっていた弟の五十狭芹彦命(吉備津彦命)の訪問を受け、女木・男木島の海賊退治を依頼。ももそ姫は、一宮の地で食料の安定確保のため、ため池を作り、新しい農地を開発し、農業技術を進化させ、祭祀を行ったため、当国農業殖産の開祖神として祀られている。
一、 五十狭芹彦命(吉備津彦命)が桃太郎といわれるようになったのも、ももそ姫の弟(太郎)であるという説もあります。
二、 ももそ姫は大和黒田の盧戸にて、父を孝霊天皇、母を倭国香媛(淡路の豪族の娘)として生まれている。母の中に香川と愛媛の字が一字づつはいっているのもなにかの縁ではないでしょうか。
三、ももそ姫が讃岐に伝承した『稲』は、五行思想で木・火・土・金・水の内『金』に対応し、これが『桃』につながります。また、『金』がしめす方位は、西を指し、この方位に位置する十二支が酉(きじ)を中心に申(猿)と戌(犬)
であることも古代のロマンを感じさせます。
作 四国学院大学教授 上村良介
みなさんは桃太郎の話を知っているでしょうか。
むかしむかしあるところに、で始まるおとぎ話。桃から生まれた桃太郎がイヌとサルとキジをお供に鬼ヶ島に鬼退治に行くという有名なお話です。
でもいまからお話しする桃太郎はちょっと違います。実はあの桃太郎にはお姉さんがいたというのです。そのお姉さんの名前は倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)といい、さぬきの国、いまの香川県の高松市に住んでいたというのです。
では、お話ししましょう。讃岐一宮 桃太郎伝説。
むかしむかし、あるところに(というのは、さぬきの国ということですが)、ももそ姫という、美しい、ですが大変気丈な女の人がいました。
ある日のこと、そのももそ姫が川のほとりを散歩していると(その川は、いまの鬼無のあたりを流れている本津川だったといいます)、上のほうから大きな桃がドンブラコドンブラコと流れてきました。ももそ姫は不思議に思い、その桃をうちに持って帰り、切ってみると、そのなかから玉のような男の子が出てきました。
ももそ姫は、天から与えられた自分の弟だと思い、その子に桃太郎という名前をつけて大切に育てることにしました。
桃太郎はどんどん大きくなっていきましたが、大変力持ちの上にわんぱくで、近所の子とケンカばかりしていました。
その日も何人もの子どもとケンカして、「勝った勝った」と大いばりで帰ってきたのですが、たまりかねたももそ姫は桃太郎を呼んでこう叱りました。
「桃太郎や。わたしはいままであなたを、天からの授かりものとして弟のように育ててきました。あなたには人並みはずれた力と知恵と勇気があります。そのどれも、あなたがこの世界で大きな仕事をするために、天がお与えになったものです。なのに、あなたはその力をイタズラやケンカというつまらないことばかりに使っている。恥ずかしいとは思いませんか」
桃太郎はももそ姫の話にじっと聞き入っていましたが、突然ももそ姫の前に両手をついてこういいました。
「わかりました。たしかにわたしが間違っていました。ですが、わたしはこの力をどうやって使っていいのかわかりません。わたしはこれからどうすればいいのでしょうか、教えてください、お姉さん」
ももそ姫はしばらく考えて、こう答えました。
「それはわたしにもわかりません。たぶんそれはだれに言われるのではなく、自分で見つけださなければならないことなのです。桃太郎や。いまから旅に出なさい。その旅のなかで、きっとおまえはおまえのしなければならないことを見つけだすでしょう」
こうしてももそ姫は桃太郎を送り出し、桃太郎は旅に出ることになりました。
しばらく旅を行くと、雉ヶ谷というところに出ました(これはいまの鬼無の佐料というところです)。そこの人々はみな弓の名人で、雉の名のように空から敵を倒すことに優れていました。
桃太郎がその地に足を踏み入れると、雉ヶ谷の人々は桃太郎の大らかで勇敢な人となりにすっかり心を奪われ、家来になりたいと申し出ました。
またしばらく行くと、今度は猿王という場所に出ました(これはいまの綾歌郡綾南町、陶というところです)。
猿王の人々は手先が器用で、火を自在に操る焼き物師の一族で、陶器の壺をつくるなどして暮らしていました。猿王の人たちも桃太郎のことを気に入り、桃太郎のために力になることを約束しました。
次に桃太郎が立ち寄ったのは、犬島という島で、ここの人たちは船を操ることがとても上手でした(犬島は、いまの岡山市の沖合いにある島です)。犬島の人々も桃太郎の志を知り、大いに感銘を受けたのです。
おとぎ話に出てくるキジ、サル、イヌとは、この雉ヶ谷、猿王、犬島の人たちのことなのです。
さて、桃太郎は旅の先々で、困っている村や悲しみに暮れている人々をたくさん見かけました。それというのも、鬼ヶ島に住んでいる鬼たちが、あちらこちらの村を襲い、財産を奪ったり、人をさらったりしているというのです。
ここでいう鬼とは、じつは海賊のことで、鬼ヶ島というのはいまの高松の沖にある女木島・男木島のことです。
桃太郎はようやく自分のしなければならないことに気づきました。それは鬼どもを退治して、村々に平和をもたらすことです。そのためにこそ、自分の力や知恵を使うべきだと思い至ったのです。
こうして桃太郎は鬼退治(海賊のことですね)に出かけることにしました。そこに集まってきたのが雉ヶ谷や猿王、犬島の人たちです。みんなで力を合わせて鬼ヶ島に向かうことになりました。
鬼ヶ島では鬼たちが待ちかまえています。犬島の人たちは巧みに船を操り、桃太郎たちを島に運んでいきます。島に近づいたころを見計らって、雉ヶ谷の人たちが弓矢で射かけます。鬼どもは慌てふためきましたが、それでも桃太郎たちに攻め寄せてきます。そこに猿王の人たちのつくった大きな壺に入れた油を流します。鬼たちは油に足を取られて、スッテンコロリン、転んでしまいます。さあ、次にその油に火をつけたのだからたまりません。鬼たちはただ逃げまどうばかりで、為す術を知りません。
桃太郎はというと、手当たり次第に鬼たちを投げ飛ばし、ねじ伏せ、最後に鬼の大将を捕まえて「さあ、降参するか」と迫ります。
鬼の大将は「降参です、降参です。もう悪いことはいたしません」と泣いてあやまりました。
桃太郎はついに自分の役目を見つけだし、それを見事に果たしたのです。帰りの船には鬼たちが奪った金銀財宝が山のように積まれています。
桃太郎がうちに帰り着くと、ももそ姫が目にいっぱい涙を溜めて迎えてくれました。
「さあ、こんなにいっぱい財宝を取ってきたよ。お姉さんはどれが欲しい」
そう、桃太郎が聞くと、ももそ姫は、
「いいえ、桃太郎。その財宝は奪われた村の人たちのもの、お返ししなければなりません」
「でも、そうしたらお姉さんへのお土産がなにもなくなるよ」
「そんなことはありません。こうして無事に、大きく成長して帰ってきた、桃太郎。あなたこそがわたしへのお土産です。そして、それはどんな金銀財宝より大切なわたしの宝なのですよ」
めでたしめでたし。
というお話ですが、いかがでしたか。もちろんおとぎ話ですから、このお話はあくまでつくりものです。ただ、桃太郎のモデルになった吉備津彦(きびつひこ)という人と桃太郎のお姉さんとされる倭迹迹日百襲姫という人は、実際にいたともいわれています。
そのお二人を神さまとしてお祀りしているのが、高松市の一宮町にある田村神社です。その田村神社では毎年二月三日には節分祭が盛大に催されていますが、節分の「鬼は外」はもしかしたら、桃太郎の鬼退治とどこかでつながってるのかもしれませんね。
―-四国学院大学教授 上村良介 讃岐桃太郎伝説より―
倭迹迹日百襲姫命(ももそ姫)は、大和の国から八歳の時、讃岐の引田(安戸の浦)に着き、御殿を水主に造営(今の水主神社)。この地で土地の人に弥生米をあたえて、米作り又水路を開き、雨祈も行なった。ももそ姫の働きにより讃岐東部は安定した暮らしができた。
その後、讃岐全体に影響力を持つため、馬篠の艪掛けの松から船出、一時仏生山の船岡山に滞在した後、一宮の田村神社に住まいを移し、この地で吉備の国平定にあたっていた弟の五十狭芹彦命(吉備津彦命)の訪問を受け、女木・男木島の海賊退治を依頼。ももそ姫は、一宮の地で食料の安定確保のため、ため池を作り、新しい農地を開発し、農業技術を進化させ、祭祀を行ったため、当国農業殖産の開祖神として祀られている。
一、 五十狭芹彦命(吉備津彦命)が桃太郎といわれるようになったのも、ももそ姫の弟(太郎)であるという説もあります。
二、 ももそ姫は大和黒田の盧戸にて、父を孝霊天皇、母を倭国香媛(淡路の豪族の娘)として生まれている。母の中に香川と愛媛の字が一字づつはいっているのもなにかの縁ではないでしょうか。
三、ももそ姫が讃岐に伝承した『稲』は、五行思想で木・火・土・金・水の内『金』に対応し、これが『桃』につながります。また、『金』がしめす方位は、西を指し、この方位に位置する十二支が酉(きじ)を中心に申(猿)と戌(犬)
であることも古代のロマンを感じさせます。

