(142)豊島(綿津見豊玉彦の島)
豊島は、今ではごみの島という悪名がついたが、古代には瀬戸内海民族が、山神を祀る大三島(大山祇神社)とともに、海神(綿津見豊玉彦)を祀る島として信仰の象徴でした。
古事記」の国生み中にイザナギ命とイザナミ命により淡道之穂之狭別島(淡路)の次に生まれた伊予之二名島(四国)としてであり、二名とは山脈で二並びに分かれ、島は、体が一つで顔が四つありました。
讃岐の国 ― 米飯の魂をつかさどる男神で、飯依日子(イイヨリヒコ) 飯依比古
粟の国 ― 五穀をつかさどる女神で、大宜都比売(オホゲツヒメ)
土佐の国 ― 強健な魂をつかさどる男神で、建依別(タケヨリワケ」)
伊予の国 ― うるわしい乙女の意の女神で、愛比売(エヒメ)
次に、隠伎之三子島(隠岐)が出来、その後に
筑紫島(九州)、この島も体が一つ地なのに顔が四つありました。
筑紫の国 ― 筑前築後のことで白日別(シラビワケ)
豊国 ― 豊前豊後のことで豊日別(トヨビワケ)
肥の国 ― 肥前肥後のことで建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)
熊曾の国 ― 熊曾族の住んだ地である建日別(タケビワケ)
次に、伊伎島(壱岐)、津島(対馬)、佐度の島(佐渡)、大倭豊秋津島(本州)と八つの島が生まれた。これらを総称して大八洲島と呼ぶ。
さらに、次のような島を生んだ。
吉備児島別名を武日方別(タケビカタワケ)、
小豆島(あずきじま)別名を大野手比売(オホノデヒメ)、
大島別名を大多麻流別(オホタマルワケ)、
姫島(大姫島・姪姫島※1)別名を天一根(アメヒトツネ)、
知訶島(直島諸島らしい※2)別名を天之忍男(アメノオシヲ)、
両小島(大槌島・小槌島※3)別名を天両屋(アメフタヤ)の六島です。
この六島を地図上で辿るとおもしろいことに気づきます。これらの島々の中央には豊島があるのです。それを裏付けるように豊島には数々の遺跡と伝承があります。豊島は、上古から備讃瀬戸の海人族の信仰の地だったのです。

豊玉彦神社
豊島は、豊玉姫命(姉)と玉依姫(妹)姉妹の父であるわたつみの命(海神・綿津見豊玉彦)を祀っていたためその名で呼ばれた。
豊島の未申方位の神子ヶ浜(みこがはま※4)の海上には、付近の島々から参詣に来る石の鳥居が立っていました。(1970年代に嵐のため水没)
また、豊島最高峰(標高340m)の檀山(だんやま)には、豊峰権現神社が付近の、スダジイの森を水源とする島の霊泉(唐櫃地区の清水の霊泉)を守ってきました。

唐櫃の霊泉1
スダジイの森の保水力は、この島の霊泉を一年中枯れさせる事がない。

唐櫃の霊泉2
※1.男木島・女木島(大姫島・姪姫島)は、陰陽道の考えが入ってからの名前で、それ以前は大姫島(おぎじま)・姪姫島(めぎじま)でそれぞれ豊玉姫命(姉)と玉依姫(妹)を祀っていた為この名で呼ばれた。
※2.直島は、神功皇后の三韓征伐の時、吉備の豪族とこの地で待ち合わせた事から、真知島(まちのしま)の名で呼ばれていました。
※3.海の鳥居:往古より大槌島・小槌島の間の海底(槌ノ戸)には『竜宮』があると信じられ、その入り口は、下笠居の亀水(たるみ)とされた。亀水の隣には生島(いくしま)地区があり、『古語拾遺』には大八洲島の霊が宿るところとある。男木島にある豊玉姫神社は南に向いているし、上段中段の鳥居も南からの参拝者を、迎えている。ところが参道はそのまま南に下りず、西に向かうのである。そして、下段の鳥居から西の海上を眺めた時、なんとそこには大槌島・小槌島が海上の鳥居のごとく出現するのである。夕日が、西の海上に沈む時、正に豊玉姫神社の鳥居から眺めた夕日は大槌・小槌の鳥居の間に沈んでいくのである。神秘的光景です。
※4.神子ヶ浜には、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)ご生誕の伝説が残る。
彦火火出見命(山幸彦)が海神の綿津見豊玉彦の勧めで龍宮に赴いた際、豊玉姫命はその妃となり、山幸彦が帰国したのち、あとを追って来て、山幸彦の国で御子を産みたいと告げる。そして神子ヶ浜に産屋を建て、山幸彦に中を覗かないように禁じて産屋に籠った。しかし、産屋が出来上がらないうちに御子が産まれ、山幸彦は好奇心を抑えられず、覗き見してしまうと、出産中の豊玉姫命は八尋鰐と化していた。姫は正体を見られたのを恥じ、御子・鵜葺草葺不合命を置いて、父の海神のもとへ帰ってしまう。しかし、恋しい夫と御子のことが忘れられず、妹の玉依姫命に御子を養育させるべく、彦火火出見命のもとへ赴かせる。
豊島でご生誕の鵜葺草葺不合命が、神武天皇の父となられます。

豊峰権現神社の鳥居から本殿までの参道
古事記」の国生み中にイザナギ命とイザナミ命により淡道之穂之狭別島(淡路)の次に生まれた伊予之二名島(四国)としてであり、二名とは山脈で二並びに分かれ、島は、体が一つで顔が四つありました。
讃岐の国 ― 米飯の魂をつかさどる男神で、飯依日子(イイヨリヒコ) 飯依比古
粟の国 ― 五穀をつかさどる女神で、大宜都比売(オホゲツヒメ)
土佐の国 ― 強健な魂をつかさどる男神で、建依別(タケヨリワケ」)
伊予の国 ― うるわしい乙女の意の女神で、愛比売(エヒメ)
次に、隠伎之三子島(隠岐)が出来、その後に
筑紫島(九州)、この島も体が一つ地なのに顔が四つありました。
筑紫の国 ― 筑前築後のことで白日別(シラビワケ)
豊国 ― 豊前豊後のことで豊日別(トヨビワケ)
肥の国 ― 肥前肥後のことで建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)
熊曾の国 ― 熊曾族の住んだ地である建日別(タケビワケ)
次に、伊伎島(壱岐)、津島(対馬)、佐度の島(佐渡)、大倭豊秋津島(本州)と八つの島が生まれた。これらを総称して大八洲島と呼ぶ。
さらに、次のような島を生んだ。
吉備児島別名を武日方別(タケビカタワケ)、
小豆島(あずきじま)別名を大野手比売(オホノデヒメ)、
大島別名を大多麻流別(オホタマルワケ)、
姫島(大姫島・姪姫島※1)別名を天一根(アメヒトツネ)、
知訶島(直島諸島らしい※2)別名を天之忍男(アメノオシヲ)、
両小島(大槌島・小槌島※3)別名を天両屋(アメフタヤ)の六島です。
この六島を地図上で辿るとおもしろいことに気づきます。これらの島々の中央には豊島があるのです。それを裏付けるように豊島には数々の遺跡と伝承があります。豊島は、上古から備讃瀬戸の海人族の信仰の地だったのです。

豊玉彦神社
豊島は、豊玉姫命(姉)と玉依姫(妹)姉妹の父であるわたつみの命(海神・綿津見豊玉彦)を祀っていたためその名で呼ばれた。
豊島の未申方位の神子ヶ浜(みこがはま※4)の海上には、付近の島々から参詣に来る石の鳥居が立っていました。(1970年代に嵐のため水没)
また、豊島最高峰(標高340m)の檀山(だんやま)には、豊峰権現神社が付近の、スダジイの森を水源とする島の霊泉(唐櫃地区の清水の霊泉)を守ってきました。

唐櫃の霊泉1
スダジイの森の保水力は、この島の霊泉を一年中枯れさせる事がない。

唐櫃の霊泉2
※1.男木島・女木島(大姫島・姪姫島)は、陰陽道の考えが入ってからの名前で、それ以前は大姫島(おぎじま)・姪姫島(めぎじま)でそれぞれ豊玉姫命(姉)と玉依姫(妹)を祀っていた為この名で呼ばれた。
※2.直島は、神功皇后の三韓征伐の時、吉備の豪族とこの地で待ち合わせた事から、真知島(まちのしま)の名で呼ばれていました。
※3.海の鳥居:往古より大槌島・小槌島の間の海底(槌ノ戸)には『竜宮』があると信じられ、その入り口は、下笠居の亀水(たるみ)とされた。亀水の隣には生島(いくしま)地区があり、『古語拾遺』には大八洲島の霊が宿るところとある。男木島にある豊玉姫神社は南に向いているし、上段中段の鳥居も南からの参拝者を、迎えている。ところが参道はそのまま南に下りず、西に向かうのである。そして、下段の鳥居から西の海上を眺めた時、なんとそこには大槌島・小槌島が海上の鳥居のごとく出現するのである。夕日が、西の海上に沈む時、正に豊玉姫神社の鳥居から眺めた夕日は大槌・小槌の鳥居の間に沈んでいくのである。神秘的光景です。
※4.神子ヶ浜には、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)ご生誕の伝説が残る。
彦火火出見命(山幸彦)が海神の綿津見豊玉彦の勧めで龍宮に赴いた際、豊玉姫命はその妃となり、山幸彦が帰国したのち、あとを追って来て、山幸彦の国で御子を産みたいと告げる。そして神子ヶ浜に産屋を建て、山幸彦に中を覗かないように禁じて産屋に籠った。しかし、産屋が出来上がらないうちに御子が産まれ、山幸彦は好奇心を抑えられず、覗き見してしまうと、出産中の豊玉姫命は八尋鰐と化していた。姫は正体を見られたのを恥じ、御子・鵜葺草葺不合命を置いて、父の海神のもとへ帰ってしまう。しかし、恋しい夫と御子のことが忘れられず、妹の玉依姫命に御子を養育させるべく、彦火火出見命のもとへ赴かせる。
豊島でご生誕の鵜葺草葺不合命が、神武天皇の父となられます。

豊峰権現神社の鳥居から本殿までの参道


