(151)讃岐一宮 田村神社 双大鳥居
2009年 讃岐一宮 田村神社 創始1300年祭に向け 双子の大鳥居完成!
田村神社はおよそ2世紀の頃、第七代孝霊天皇の皇女(倭迹迹日百襲姫命)が、古来より雨の少なかったこの地で住民に、ため池を造り、田畑を耕し、稲作を伝えたとされ、水脈を守るため姫が祀られ、1300年前(平城京遷都の前年)定水大明神として、この地に創祀されました。
創始 (和銅二年) 西暦709年

本殿前の大鳥居
田村神社には、本殿地下の深淵(ご神体)のほか袂井(たもとい)・花ノ井などがお宮の敷地内にあり、伝説とともに歴史を伝えています。

主祭神:倭迹迹日百襲姫命 (やまと ととひ ももそひめのみこと)
倭迹迹日百襲姫命(ももそ姫)は、大和の国を三歳で旅立ち、八歳の時、讃岐の引田(安戸の浦)に着き、御殿を水主に造営(今の水主神社)。この地で土地の人に弥生米をあたえて、米作り又水路を開き、雨祈も行なった。ももそ姫の働きにより讃岐東部は安定した暮らしができました。
その後、讃岐全体に影響力を持つため、馬篠の艪掛けの松から船出、一時仏生山の船岡山に滞在した後、一宮の田村神社に住まいを移し、この地で吉備の国平定にあたっていた折に、弟の五十狭芹彦命(吉備津彦命)の訪問を受け、女木・男木島の海賊退治を依頼。ももそ姫は、一宮の地で食料の安定確保のため、ため池を作り、新しい農地を開発し、農業技術を進化させ、祭祀を行ったため、当国農業殖産の開祖神として祀られています。
讃岐での活躍を耳にした大和政権が18歳の姫を呼び戻した後、姫は大国主命と結ばれ、その神託を伝える巫女としての生涯を過ごしました。そして、死後は最古の古墳のひとつとされている『箸墓』(奈良県広陵町)に埋葬されています。

本殿前(奥)と宇都伎社前の双鳥居
(写真の撮り方がよくありませんが、同じ大きさです。)

宇都伎社 大鳥居

裏参道の連鳥居も完成

讃岐七福神の布袋尊(裏参道)
創始1300年記念 双大鳥居落成式
平成20年8月12日(火)午前10時から

燈籠祭
8月 9日(土)10日(日)
二千体の燈籠を灯し、先祖の御霊を和め子孫繁栄を祈願する夏の涼祭
燈籠は日没後点灯します

田村神社はおよそ2世紀の頃、第七代孝霊天皇の皇女(倭迹迹日百襲姫命)が、古来より雨の少なかったこの地で住民に、ため池を造り、田畑を耕し、稲作を伝えたとされ、水脈を守るため姫が祀られ、1300年前(平城京遷都の前年)定水大明神として、この地に創祀されました。
創始 (和銅二年) 西暦709年

本殿前の大鳥居
田村神社には、本殿地下の深淵(ご神体)のほか袂井(たもとい)・花ノ井などがお宮の敷地内にあり、伝説とともに歴史を伝えています。

主祭神:倭迹迹日百襲姫命 (やまと ととひ ももそひめのみこと)
倭迹迹日百襲姫命(ももそ姫)は、大和の国を三歳で旅立ち、八歳の時、讃岐の引田(安戸の浦)に着き、御殿を水主に造営(今の水主神社)。この地で土地の人に弥生米をあたえて、米作り又水路を開き、雨祈も行なった。ももそ姫の働きにより讃岐東部は安定した暮らしができました。
その後、讃岐全体に影響力を持つため、馬篠の艪掛けの松から船出、一時仏生山の船岡山に滞在した後、一宮の田村神社に住まいを移し、この地で吉備の国平定にあたっていた折に、弟の五十狭芹彦命(吉備津彦命)の訪問を受け、女木・男木島の海賊退治を依頼。ももそ姫は、一宮の地で食料の安定確保のため、ため池を作り、新しい農地を開発し、農業技術を進化させ、祭祀を行ったため、当国農業殖産の開祖神として祀られています。
讃岐での活躍を耳にした大和政権が18歳の姫を呼び戻した後、姫は大国主命と結ばれ、その神託を伝える巫女としての生涯を過ごしました。そして、死後は最古の古墳のひとつとされている『箸墓』(奈良県広陵町)に埋葬されています。

本殿前(奥)と宇都伎社前の双鳥居
(写真の撮り方がよくありませんが、同じ大きさです。)

宇都伎社 大鳥居

裏参道の連鳥居も完成

讃岐七福神の布袋尊(裏参道)
創始1300年記念 双大鳥居落成式
平成20年8月12日(火)午前10時から

燈籠祭
8月 9日(土)10日(日)
二千体の燈籠を灯し、先祖の御霊を和め子孫繁栄を祈願する夏の涼祭
燈籠は日没後点灯します


