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(237)讃岐國笠居郷社 宇佐八幡宮(秋祭宵宮)

宇佐八幡宮(高松市香西本町)秋季例大祭
10月2日~3日
宇佐神社の獅子舞は、讃岐一刀彫の獅子頭を讃岐漆芸で仕上げ、油単で飾っています。木製の重い獅子頭を数人で交代しながら、激しい獅子舞を行います。

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)
宇佐神社には、地元香西(中笠居)と鬼無(上笠居)、下笠居(中山、植松、神在川窪、生島、亀水)の三地区から獅子組が集まってきます。
宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)
室町時代に管領細川家の四天王(香西氏・安富氏・香川氏・奈良氏)として繁栄した守護代の香西氏は、豊前の宇佐神宮から勧請し、其のとき宇佐からの神官家を中心に現在も祭りが催されています。

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)  宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)  宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮) 
時には、はしごの上や高台で獅子舞を行う為、『はしご獅子』とも云われます。

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)  宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)
拝殿前
宇佐神社(秋季例大祭宵宮)  宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)  宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)
宇佐神社には、神人というものがあった。豊前の国から神輿と共に付いて来てこの里に留まり、その子孫は今なお神高村に住み、祭祀の時に出仕して、神器を取り扱い、供御(くご)などを献じ、御幸還御の時、神器の弓矢、幣帛などを携え、神輿の先駆けを務めた。惣官(神高)・田所・天雲・溝渕・唐渡・やうじの六家で、六つの名目を伝えている。

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)  宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)  宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)  宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)  宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)
この地に、政治のための『藤尾城』と戦闘用の『勝賀城』を構えていた香西氏は、応仁の乱や四天王家の争いで勢力を弱め、土佐の長曽我部元親に敗北しました。

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)  宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)
このあたりが、長曽我部氏讃岐侵攻の最大の激戦地であったと伝わり、その為か獅子舞も非常に荒荒しい舞いを行います。

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)  宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

宇佐神社(秋季例大祭宵宮)

明日は、本祭り藤尾城の急な石段を神輿が下り、豊前宇佐からの勧請を、獅子が先頭を祓い船だんじりを中心にした行列が宇佐神社の伝承を今に伝ます。

  





香西八景
屋島夕照 空を舞台に屋島の夕映え
弦打秋月 曇晴れて弦打山昇る冴えた秋の月
郷東落雁 郷東の空から鳴き落ちてくる雁の群
勝賀暮雪 夕暮れの雪に神秘な勝賀山
根来晩鐘 今日も暮れるか根来寺の入相の鐘
川窪夜雨 雲かけて川窪に降る夜の雨
柴山晴嵐 波さわぐ柴山の晴れた日に昇る山の気
網浦帰帆 網の浦に連なって帰ってくる帆かけ船
~香西記より
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theme : 香川
genre : 地域情報

tag : 香西氏 宇佐神社 長曽我部元親

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讃岐の歴史

香西越後守 こうざいえちごのかみ ?~1575
管領細川氏家臣。実名不詳。香西元成の継嗣と見られ、元成と同じ受領を名乗るのでその弟あるいは息子であろう。1570年三好三人衆らとともに細川信良(のちの昭元)を奉じて野田・福島に進出、信長に対抗したがやがてこれに降伏し、翌9月の比叡山包囲に加わった。その後信良は信長方となり、越後守もこれに従った。1572年三好政勝とともに三好義継と講和(信良は関与せず)。将軍義昭と信長が対立すると義昭に味方し、義昭追放後は本願寺に味方した。終始信長に抵抗したが、しかし1575年信長方に捕らえられ、信長と対面後すぐに誅伐された。

香西元定 こうざいもとさだ ?~?
管領細川氏家臣。香西元綱の男。官途は豊前守。宗家の元長が細川澄之にに与して1507年に戦死すると、讃岐にあった下香西氏や寒川氏は細川晴元・三好元長ら反細川高国派により圧迫を受けることとなった。しかし1508年前将軍義尹(義稙)を擁する大内義興が上洛戦を開始し、讃岐・播磨の反義澄・反晴元・反三好系の諸氏はこれに与同して頽勢の挽回を図った。大内氏の動静と細川高国は一致し、以後香西氏は高国政権のもとで勢力を扶植し、元定も1531年に朝鮮と交易するなど親大内氏の立場を取って最盛期を築き上げた。塩飽水軍は香西氏麾下と云う。

香西元長 こうざいもとなが ?~1507
管領細川氏家臣。香西元直の男。通称又六。1497年山城守護代となる。1507年主君細川政元の丹後出兵に従うため賀茂社に夫役を課したが拒否されたため社家を焼討ちにする。同年薬師寺長忠(元一の弟)らと結んで澄之を擁し、政元を暗殺した。さらに澄元をも攻めたが、澄元・三好之長らは近江甲賀に脱出した。その後澄元は細川高国・細川政賢らとともに京都へ出陣、元長も澄之・長忠らとこれを迎撃したが、諸共に戦死した。
讃岐で活躍する香西氏(元成・佳清など)は父元直の弟元綱の系統で、元直が京畿にあって細川氏を補佐したため、元綱が本領のある讃岐に在国するようになって分かれたもの。このため元直の系統を上香西、元綱の系統を下香西と区別する。
「南海通記」では香西元資(元直の父)・香川元明・安富盛長・奈良元安の四人を「細川四天王」と呼んでいる。

香西元成 こうざいもとなり 1518~1560
管領細川氏家臣。香西元定の男。官途は越後守。1537年細川晴元政権が誕生するとその与党となる。1544年細川家綱(細川高国養子)が晴元に対して挙兵、1548年三好長慶は家綱に与して離反し、晴元らは前将軍義晴・将軍義藤(義輝)を擁して近江へ逃れた。元成は苦境にある晴元をよく補佐し、家綱・三好党と激闘した。1553年松永久秀が丹波に侵攻し波多野晴通を攻めた際、元成は晴通の救援に赴いて久秀を撃退。1560年、河内に挙兵した畠山高政・安見直政に呼応して、山城宇治・鳥羽に進出した際長慶の反撃を受けて戦死した。

香西元盛 こうざいもともり ?~1526
管領細川氏家臣。通称四郎左衛門。波多野稙通・柳本賢治らの弟といわれるが、血縁関係は不明で、義兄弟(姻戚)ともいわれる。細川高国に仕え、1524年、澄元(1520年死)残党を和泉に撃滅。1526年細川尹賢(高国与党政賢の男)に讒言され、高国によって殺害された。また自刃したとも云う。

香西佳清 こうざいよしきよ 1553~1588
讃岐の国人。香西元載(元親。宗信と号す)の男。香西元成の孫(一説には息子とも)。8歳のときに盲目となり、盲の宗可と言われた。長曽我部氏の侵攻に備え、1577年本城を佐科城から藤尾城へ移す。1579年同族の羽床氏と争う。長曽我部元親の攻撃をよく防いだが、香川信景(元景)の仲介で和睦。四国征伐ののち隠棲した。
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