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(238)大名庭園サミット  特別名勝 栗林公園

江戸の大名達が作った大名庭園・・・「権力の象徴」そして「社交」と「礼儀」の場であった「大名庭園」ですが、今は訪れる人の心をふっと優しく癒してくれる場所となっています。

 そんな大名庭園、四季折々の風情を楽しめるだけでなく、ひとつひとつの石に池にそして木に意味があるともいわれています。
掬月亭(殿様の茶室からの風景)
掬月亭(殿様の茶室からの風景)

10月22日・23日と香川県の栗林公園では第5回大名庭園サミットが行なわれ、これからの時代に新たに発信する大名庭園の魅力も語られます。




栗林園の特色
1.全国の日本式庭園の中で下記の庭園の四要素全部備えている。
 ①草の庭 (自然そのままの庭-栗林園では、紫雲山)
 ②行の庭 (人工合理主義の庭)
 ③真の庭 (合理主義の極地を行きながら、自然に溶け込んでいく庭)
 ④枯山水の庭 (水を用いずして河・海を表し、山を用いずして山を表す)

2.純日本式庭園で遠州流の回遊式大名庭園で自然の美しい風土に調和し、朝・昼・夜・晴天・雨天を問わず瀬戸内の四季を彩る県民性を表現している。

3.美しい背景を持つことが日本庭園の特色であり、栗林園も隣接する紫雲山の自然を借景にしている。(銀閣寺の東山、天龍寺の嵐山、大徳寺の比叡山、修学院の北山など)

4.香東川の川の流れを変え庭園を造ったため伏流水が豊富で、その湧水を利用して作庭されている。(吹上、偃月橋の下、西湖の会仙巌の北西部)

5.規模が大きく、四面の流水を巡らす耕造となっている。

6.六大水局(六つの池)、十三大山岐(十三の丘)と配置の巧みさ

7.木石の雅趣(箱松、鶴亀松、根上がり樫、蘇鉄林、根上がり五葉松などにより園自体が盆栽庭園)

8.薬草園、平賀源内が整備した百花園(ホルトの木、人参木、ムクロジ茶園、橘園、梅園)

9.神仙思想に基づく庭造り(南湖、楓嶼、杜鵑嶼、天女島、仙磯)

10.陰陽術・五行の序・風水説に則った作庭

 
特別名勝 栗林公園
芙蓉峰から北湖・梅林橋を望む( 右は前嶼 / 後方は紫雲山 )




栗林公園内最大の茶室 掬月亭の名前の由来

春山夜月
 『掬水月在手 弄花香満衣』 
(水を掬すれば月は手にあり 花を弄すれば香は衣に満つ)
という詩句を南宋の虚堂智愚(きょどうちぐ)という禅僧が禅の教えに引用した為、禅語として広まりこの茶室に名付けられたと伝わっています。

その意味は、
月と花は本来いつどこにでもある真理の象徴として存在するが、月は掌で掬ったとき掌にあり、花は触れてこそ香りが伝わるため、実践してはじめて真理に触れるということだそうです。

藩政時代、
歴代の高松藩主がこの茶室で、客人と盃に 『  』 を浮かべて酒を酌み交わしたと伝わっています。(掬月)

庭園と公園
栗林公園は、室町時代から江戸時代中期に作庭された『南庭』と江戸時代中期から明治時代にかけて作庭された『北庭』の二つから構成されている為、それぞれ趣が異なります。

南庭』は、室町・江戸時代と伝わる『栗林荘』『御林』と呼ばれてきた大名庭園の傑作として誇れる日本でも数少ない『盆栽庭園』の雰囲気を醸し出すところから、周りの風景も現代建物とか見えないよう隔離し、古来からの景観を維持していきたいものです。

それに比べ『北庭』は、明治初期にかけて作庭された歴史があるため、『公園』として周りのビル風景に溶け込んで、より一般に楽しめる公園としての雰囲気を持っています。





栗林公園 鹿鳴原
鹿鳴原
晴日呦(ゆう)々の鹿 平原春草新なり
笙を吹き復(また)瑟(ひつ)を鼓す 以て嘉賓を燕(えん)す可し

ラジオ番組
  香川発 ごゆるり参られよ !
   なんと素敵な 大名庭園 


平成22年10月23日(土)18:00~20:00 生放送
中四国ラジオ8局ライブネット
(=西日本放送、南海放送、高知放送、四国放送、中国放送、山陽放送、山陰放送、山口放送)


番組では大名庭園サミット情報は勿論、ミシュラングリーンガイドの三ツ星にも選ばれた室町時代の小譜陀に端を発し、生駒時代の西島八兵衛を経て、高松松平藩時代に完成する『特別名勝 栗林公園』、そして、丸亀京極家がふるさとに思いを馳せ近江八景を庭園に表現した『中津万象園』という2つの大名庭園が堪能できます。




栗林園 仙磯

特別名勝 栗林公園 仙磯の石 (せんぎ の いわ)
南湖の中央に『仙磯』という石組みを築く作庭技法は、共に藤堂高虎の家臣であり、娘婿であった西島八兵衛が『栗林公園』に、小堀遠州が『仙洞御所』に演出した日本で二箇所しか残されていない風景です。水面下の数百個にも及ぶ石に支えられたこの石組みには、自分が残した最高の庭園に仙人ですら呼び込もうとした(神仙思想)日本庭園を極めた両巨匠の心意気を表現しています。

(伊勢津藩出身の西島八兵衛は、満濃池の修復、香東川の流域変更など人生の大部分を讃岐にささげてくれた讃岐の恩人です。)

 掬月亭とよばれる茶室は、中国唐時代の詩人干良史(うりょうし)の「春山夜月(しゅんざんやげつ)」という詩の一節により名付けられたそうです。 また、星辰信仰(天神信仰)の象徴として北斗七星の形をイメージして作られたところから、『星斗館』(せいとかん)とも呼ばれていました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

讃岐の庭園
讃岐には、江戸時代ふるさとに思いを馳せた京極家が近江八景を表現した丸亀の中津万象園と能楽『海人(あま)』龍の玉取り伝説を表現した、室町時代に細川勝元が作庭、重森三玲が修復した志度寺の庭園があります。讃岐の庭園三部作、讃岐にお立ち寄りの折は、是非お楽しみ下さい。

※丸亀 中津万象園は、メセナアワード2006庭園文化賞を受賞しています。




Special Beauty Spot RitsurinGarden
Ritsurin Garden,a Daimyo's garden was designated as the 8th special beauty spot in Japan in March,1953.It is the largest,representative“Kaiyushiki-teien"(landscape garden designated for strolling through) in the country.
Under the Cultural Properties Protection Act,at present,a total of 23 gardens have been classified as special beauty spots. Of these,6 are Daimyo gardens and 13 are temple gardens.

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theme : 香川
genre : 地域情報

tag : 栗林公園 中津万象園 大名庭園サミット 春山夜月 大名庭園

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沿革

沿革


1875年(明治8年)3月16日 - 県立公園として開園、一般開放。
1922年(大正11年)3月6日 - 名勝に指定される。
1929年(昭和4年)6月5日 - 栗林公園動物園が開園。
1930年(昭和5年)6月7日 - 栗林公園動物園内にプールが竣工。
1947年(昭和22年)9月11日 - 商工奨励館で四国産業復興展が開催される。
1949年(昭和24年)3月20日 - 県・市共催の観光高松大博覧会が開催される。
1949年(昭和24年)11月3日 - 園内に高松市立美術館が開館。
1953年(昭和28年)3月31日 - 特別名勝に指定される。
1956年(昭和31年)8月1日 - 入園料の徴収を開始。大人10円、小人5円。
1957年(昭和32年)11月15日 - 園内に民芸館が開館。
1958年(昭和33年)9月23日 - 公園東側に政治家三木武吉の銅像を建立。
2001年(平成13年)11月1日 - 県営栗林公園東門前駐車場が開業。
2002年(平成14年)9月30日 - 栗林公園動物園が閉園。
2004年(平成16年)3月31日 - 栗林公園動物園が閉鎖。
2006年(平成18年)10月1日 - 県営栗林公園東門駐車場が開業。

讃岐の風土記(41)

“和三盆のふるさと讃岐”
 “讃岐三白”といわれるように、江戸時代中期以降、讃岐を代表する特産物は塩・綿・砂糖でした。このうち砂糖は、寛政2年(1790年)の向山周慶(さきやましゅうけい)の成功に始まり、高松藩の積極的な保護政策を受けて盛んとなったものです。

 江戸時代の初め頃までは、わが国のサトウキビの栽培地は南西諸島に限られており、作られる砂糖も黒砂糖が一般的でした。高級な和菓子や料理に使われる白砂糖は、中国やオランダから輸入された高価なものでした。やがて徳川吉宗の享保の改革において砂糖の国産化が奨励され、高松藩では、五代藩主松平頼恭(よりたか)が甘蔗(さとうきび)の栽培を平賀源内に試作させたのが始まりで、その後を藩医の池田玄丈が引き継ぎました。しかし玄丈も研究なかばで故人となります。

 玄丈の遺志はその門人の向山周慶(さきやましゅうけい)に引き継がれます。彼は延享3年(1746年)東かがわ市白鳥町湊の生まれで、医術を学んでいましたが、白砂糖の製法の研究に没頭します。あるとき周慶は、たまたま病にかかり苦しんでいた四国遍路の人を救います。その人は、関良助(せきりょうすけ)という薩摩の人でした。良助はいったん薩摩に帰りますが、深くその恩を感じて報いるため、数年後国禁を犯して薩摩から甘蔗(さとうきび)の茎を弁当箱に詰めて持ち来り、その製法をも伝えたと云われています。また、周慶が京都へ遊学していたとき、薩摩藩の医学生某と交わり、1788年(天明8年)京都の大火の時この医学生某が災害に遭ったところを周慶が助けたことにより製糖法が伝授されたとも云われています。

 サトウキビから砂糖を製造するには、まず搾り液をアクをすくいながら釜煮し、水分を蒸発させて、白下糖(しろしたとう)という糖蜜を含んだ黄褐色半固体状の原料糖をつくります。これを精製して白砂糖にするには、その表面をおおっている褐色・タール状の糖蜜を除去することが必要ですが、讃岐では、19世紀初期に独自の精製法を完成させています。それは、白下糖を盆の上で適量の水を加えて練り上げて、砂糖の粒子を細かくする「研ぎ」という作業を行った後、研いだ砂糖を綿布製の袋に詰め「押し舟」という箱の中に入れて重石をかけ圧搾し、黒い糖蜜を抜いていくという技法です。この作業を数度繰り返していくと、糖の色が最初は茶褐色であったものが、“三盆白(さんぼんじろ)”といわれるようになり、手触りもさらさらになっていきます。これらの工程の中でも一番大変なのが「研ぎ」という「蜜を抜く」と同時に「砂糖を、より白くする」ための作業で、全くの手作業で行なわれ、相当な熟練の技が要求されます。

  “和三盆”(わさんぼん)とは、主に香川県や徳島県などの四国東部で伝統的に生産されている上質の国産白砂糖のことです。粉砂糖に近いきめ細やかさを持ち、微量の糖蜜が残っていることから色がかかった白さとなります。舐めると、甘いながらも「すーっとする」淡泊な味です。和菓子に多用されますが、その中でも、特に「落雁(らくがん)」にはよく使われています。和三盆の原料となるサトウキビには「竹糖(ちくとう)」という品種が用いられ、その製造工程も非常に手間がかかるものです。「和三盆」という名は、「盆の上で三回研ぐ」ことからついた名前といわれていますが、現在では、昔より白い砂糖が好まれているため、4回~5回は研ぐそうです。和三盆は精糖の作業が複雑な上、寒冷時にしか作ることが出来ず、白下糖から和三盆を作ると全量の4割程度に目減りし、途中で原料の追加もできないため、砂糖としては最も高価なものとされています。東かがわ市の相生の辺りは土質が良いためか天下無比の三盆糖ができ、讃岐砂糖の完成を見るに至りました。

 讃岐の甘蔗作付面積は、寛政2年(1790年)にはわずか1町でしたが、その75年後の慶応元年(1865年)には約3,800町と飛躍的に増大し、1830年代の初め頃、全国中央市場の大坂に集まる白砂糖の60パーセントほどを讃岐産が占めていました。高松の東浜港(現在の城東町)より大阪に向けて出荷され、その当時の"砂糖相場"は高松藩が決めていたといいます。また文化の初め頃、江戸で讃岐の砂糖は、「雪白の如く、舶来品にいささかおとらず」と評判であったともいいます。

 これにより高松藩松平家十二万石は大いに富み、また、正月の雑煮にあん入りの餅を入れる風習ができたといいます。せめてめでたい正月のときには貴重品である砂糖を庶民も口にしてもいいだろうということです。「あん餅雑煮」は高松藩、そして讃岐人の"富"の象徴であったということができるでしょう。

 讃岐の糖業は幕末の慶応年間に最盛期を迎え、明治13年でもその甘蔗生産量は、全国の58パーセントを占め第1位でした。しかし、日清戦争で台湾が日本の領土となり、明治30年代頃から台湾産の砂糖が輸入され始めると、讃岐の砂糖産業の隆盛は急速に終わりを告げ、讃岐平野からも甘蔗の姿が消えていきました。和三盆の生産量も減り、現在の香川県の東かがわ市と徳島県の一部の地域のみで生産されるだけになりましたが、その風味は和菓子の製造に欠かせないため、現在も高級食材として製造されています。

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○訪れてみたいところ・食してみたいもの
向山周慶旧宅
 白鳥町湊にあります。
向良神社(こうらじんじゃ)
 向山周慶と関良助の働きに、時の藩主は非常に感激し、向山の一字と良助の一字をとり一字を建立して「向良神社」を祀りました。今なお高松市松島町と向山周慶出世の白鳥町に残っています。地元の人から「砂糖神さん」と呼ばれています。
向山周慶砂糖開基の碑
 向山周慶の功績を讃えて建てられて碑が白鳥町湊にあります。
四国村
 屋島北麓の四国村(四国民家博物館)内に、讃岐を中心とした地域のサトウキビ栽培、白下糖(しろしたとう)製造、和三盆糖製造の各工程に応じた砂糖製造用具が収集保存され、また「砂糖しめ小屋」が移築保存されています。


三谷製糖羽根さぬき本舗
 東かがわ市馬宿の三谷製糖は200年の伝統を持ち、和三盆作りの製法器具は国の重要文化財に指定されています。
ばいこう堂
 東かがわ市吉田にあり、さぬき和三宝糖という製品名を用いています。製造工程を見学することができます。
讃州井筒屋敷
 江戸時代から栄えた豪商屋敷で、和三盆の型抜き体験をすることができます。
あん餅雑煮
 讃岐独特の雑煮で、砂糖あん入りの丸餅と甘味の強い白味噌で仕立て、具には輪切り大根や人参などのほかに、仕上げに青海苔や花鰹をのせます。
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Author:桃太郎 tnk
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