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(256)讃岐國一宮 田村神社 七五三

五七桐  五七桐

讃岐一宮 田村神社 七五三
讃岐國一宮 田村神社 七五三

讃岐一宮 田村神社 七五三
菊花展

讃岐一宮 田村神社 七五三
七五三の撮影は、人力車が人気です

讃岐一宮 田村神社 七五三
讃岐國一宮 田村神社 七五三

讃岐一宮 田村神社 七五三
双の大鳥居

讃岐一宮 田村神社 七五三
七五三の撮影

讃岐一宮 田村神社 七五三
讃岐一宮 田村神社 菊花展

讃岐一宮 田村神社 七五三
讃岐一宮 田村神社 宇都伎社

讃岐一宮 田村神社 七五三
讃岐一宮 田村神社 素婆倶羅社

讃岐一宮 田村神社 七五三
讃岐一宮 田村神社天満宮




《ご祭神》
    倭迹迹日百襲姫命
    五十狭芹彦命 (吉備津彦命)
    猿田彦大神
    天隠山命 (高倉下命)
    天五田根命 (天村雲命)

     以上、五柱の総称を田村大神(たむらのおおかみ)と申す。


六ツ目山と堂山
六ツ目山と堂山


倭迹迹日百襲姫命と五十狭芹彦
倭迹迹日百襲姫命と五十狭芹彦

讃岐 桃太郎物語

むかしむかし、あるところに(というのは、さぬきの国ということですが)、ももそ姫という、美しい、ですが大変気丈な女の人がいました。

 ある日のこと、そのももそ姫が川のほとりを散歩していると(その川は、いまの鬼無のあたりを流れている本津川だったといいます)、上のほうから大きな桃がドンブラコドンブラコと流れてきました。ももそ姫は不思議に思い、その桃をうちに持って帰り、切ってみると、そのなかから玉のような男の子が出てきました。

 ももそ姫は、天から与えられた自分の弟だと思い、その子に桃太郎という名前をつけて大切に育てることにしました。

 桃太郎はどんどん大きくなっていきましたが、大変力持ちの上にわんぱくで、近所の子とケンカばかりしていました。

 その日も何人もの子どもとケンカして、「勝った勝った」と大いばりで帰ってきたのですが、たまりかねたももそ姫は桃太郎を呼んでこう叱りました。

「桃太郎や。わたしはいままであなたを、天からの授かりものとして弟のように育ててきました。あなたには人並みはずれた力と知恵と勇気があります。そのどれも、あなたがこの世界で大きな仕事をするために、天がお与えになったものです。なのに、あなたはその力をイタズラやケンカというつまらないことばかりに使っている。恥ずかしいとは思いませんか」

 桃太郎はももそ姫の話にじっと聞き入っていましたが、突然ももそ姫の前に両手をついてこういいました。

「わかりました。たしかにわたしが間違っていました。ですが、わたしはこの力をどうやって使っていいのかわかりません。わたしはこれからどうすればいいのでしょうか、教えてください、お姉さん」

 ももそ姫はしばらく考えて、こう答えました。

「それはわたしにもわかりません。たぶんそれはだれに言われるのではなく、自分で見つけださなければならないことなのです。桃太郎や。いまから旅に出なさい。その旅のなかで、きっとおまえはおまえのしなければならないことを見つけだすでしょう」

 こうして、ももそ姫は桃太郎を送り出し、桃太郎は旅に出ることになりました。

 しばらく旅を行くと、雉ヶ谷というところに出ました(これはいまの鬼無の佐料というところです)。そこの人々はみな弓の名人で、雉の名のように空から敵を倒すことに優れていました。

 桃太郎がその地に足を踏み入れると、雉ヶ谷の人々は桃太郎の大らかで勇敢な人となりにすっかり心を奪われ、家来になりたいと申し出ました。

 またしばらく行くと、今度は猿王という場所に出ました(これはいまの綾歌郡綾南町、陶というところです)。

 猿王の人々は手先が器用で、火を自在に操る焼き物師の一族で、陶器の壺をつくるなどして暮らしていました。猿王の人たちも桃太郎のことを気に入り、桃太郎のために力になることを約束しました。

 次に桃太郎が立ち寄ったのは、犬島という島で、ここの人たちは船を操ることがとても上手でした(犬島は、いまの岡山市の沖合いにある島です)。犬島の人々も桃太郎の志を知り、大いに感銘を受けたのです。

 おとぎ話に出てくるキジ、サル、イヌとは、この雉ヶ谷、猿王、犬島の人たちのことなのです。

 さて、桃太郎は旅の先々で、困っている村や悲しみに暮れている人々をたくさん見かけました。それというのも、鬼ヶ島に住んでいる鬼たちが、あちらこちらの村を襲い、財産を奪ったり、人をさらったりしているというのです。

 ここでいう鬼とは、じつは海賊のことで、鬼ヶ島というのはいまの高松の沖にある女木島・男木島のことです。

 桃太郎はようやく自分のしなければならないことに気づきました。それは鬼どもを退治して、村々に平和をもたらすことです。そのためにこそ、自分の力や知恵を使うべきだと思い至ったのです。

 こうして桃太郎は鬼退治(海賊のことですね)に出かけることにしました。そこに集まってきたのが雉ヶ谷や猿王、犬島の人たちです。みんなで力を合わせて鬼ヶ島に向かうことになりました。

 鬼ヶ島では鬼たちが待ちかまえています。犬島の人たちは巧みに船を操り、桃太郎たちを島に運んでいきます。島に近づいたころを見計らって、雉ヶ谷の人たちが弓矢で射かけます。鬼どもは慌てふためきましたが、それでも桃太郎たちに攻め寄せてきます。そこに猿王の人たちのつくった大きな壺に入れた油を流します。鬼たちは油に足を取られて、スッテンコロリン、転んでしまいます。さあ、次にその油に火をつけたのだからたまりません。鬼たちはただ逃げまどうばかりで、為す術を知りません。

 桃太郎はというと、手当たり次第に鬼たちを投げ飛ばし、ねじ伏せ、最後に鬼の大将を捕まえて「さあ、降参するか」と迫ります。

 鬼の大将は「降参です、降参です。もう悪いことはいたしません」と泣いてあやまりました。

 桃太郎はついに自分の役目を見つけだし、それを見事に果たしたのです。帰りの船には鬼たちが奪った金銀財宝が山のように積まれています。

 桃太郎がうちに帰り着くと、ももそ姫が目にいっぱい涙を溜めて迎えてくれました。

「さあ、こんなにいっぱい財宝を取ってきたよ。お姉さんはどれが欲しい」

 そう、桃太郎が聞くと、ももそ姫は、

「いいえ、桃太郎。その財宝は奪われた村の人たちのもの、お返ししなければなりません」

「でも、そうしたらお姉さんへのお土産がなにもなくなるよ」

「そんなことはありません。こうして無事に、大きく成長して帰ってきた、桃太郎。あなたこそがわたしへのお土産です。そして、それはどんな金銀財宝より大切なわたしの宝なのですよ」

 めでたしめでたし。





倭迹迹日百襲姫命

讃岐 かぐや姫物語

 みなさんは「かぐや姫」のおはなしをご存じですね。

 平安時代に創作され、竹から生まれたかぐや姫が、やがて美しく成長し、五人の公卿の若君から求婚されるものの、ついには月に帰って行く、そういうおはなしです。


 さて、いまからおはなしするのは、今から1300年前に創始された讃岐一宮田村神社に伝わるご祭神の「お姫さま」の物語です。

 わたしたちの知っている「かぐや姫」を、讃岐一宮の言い伝えと照らし合わせてみると、浮かび上がってくる「かぐや姫」。それをいまからご紹介したいと思います。



 むかしむかし、約2000年以上前の讃岐国の安戸ノ浦というところに、おん年八才ほどの美しい姫が流れつきました。この方はやまとととひももそ姫といい、遠くヤマトの国の帝(第七代孝霊天皇)のお子さまでした。
(※安戸の浦-現在の東かがわ市安戸)

 当時、大和の国は乱れており、お世継ぎをめぐっての騒動が繰り返されている時期でした。そんな騒動に巻き込まれてはと、ももそ姫の身をお案じになった帝は、姫が三才の時、母君さまのご実家のある淡路の国におあずけになりました。ですが、その淡路の国もあやうくなって、八才になっていた姫は讃岐の国まで避難して来られたのです。

 そして、このももそ姫こそが、のちに「かぐや姫」として語りつがれる、もとのモデルになった方だったのです。

 ではなぜ「竹から生まれた」ということになったのでしょう。

 それはもともと讃岐の国が「竹」と非常に縁の深い土地だったからです。

 そのむかし、讃岐の国は「竿調国(サオツキノクニ)」と呼ばれ、祭事に使う矛竿(竿竹ののぼり)を調(貢物)としていた国柄でした。

 ですから、その讃岐の国に降り立ったももそ姫は、竹の国に舞い降りたかぐや姫でもあったのです。



 姫をお迎えしたのは、たぶん土地の豪族であったことでしょう。

 その地は、寒川郡長尾郷(今の長尾町) あたりではなかったでしょうか。というのも長尾町にはかぐや姫伝説が数々残っているからです。たぶんそのあたりの
豪族の庇護のもと、すこやかに成長されたと思われます。

 やがて姫は、讃岐平野の中央(香川郡百相郷)へと居を移され、住まいするようになりました。

 すでに成長なさっていた姫は、その土地の農民たちに、稲作の新しい知恵や工夫を伝授しました。
これには姫だけではなく、姫のお供の方々もかかわっていたでしょう。
彼らが都で学んだ稲作の知恵はこの地の農民に伝えられ、大きな収穫をもたらしました。

 そのうわさを聞き知った他の地域からも「わたしたちのほうにもお越しいただきたい」という声が多く聞かれるようになりました。

 ほら、このあたりは五人の若君が「わたしのもとに嫁いでください」と求婚するのに、少し似ていませんか?

 ともあれ姫は、讃岐の田畑を潤すことに大きく貢献なさいました。そして、雨のすくない讃岐に数々の水にまつわる伝説を残されたのです



 時が経ち、姫は十八歳になりました。

 宮中がようやく落ち着きを取り戻し、平和が訪れたころ、都から「姫さまを都におかえしするように。」とのお達しがありました。

 もちろん、姫にお仕えし、お守りしてきた讃岐の人々には晴天の霹靂でした。
それは手のひらの玉をとつぜん奪われるような痛みだったことでしょう。

 「かぐや姫」には月から迎えにきた空からの使者を、弓矢で追い返そうとする
エピソードがありますが、民のこころはたぶんそれに似たものだったと思われます。

 とはいえ、尊いおん血筋の姫君です。

 民人は泣く泣く、姫を都に送り出しました。

 遠い都へ。まるで月のように遠い都へ。



 現在の高松市一宮町の田村神社には、雨が少なかったため水を大事にした讃岐の人々が水脈を守るため神社の御神体とした『 神淵 』とともに、姫が腹痛のとき袂に水を含み飲ませ腹痛を治したと伝わる『袂井 (たもとい)』とともに『花泉 (はなのい)』という井戸があります。

 姫がヤマトにお帰りになったのちも、民人たちは姫をしのんで、その井戸から水をくみ、花を生けていたそうです。

                (著:元四国学院大学教授 上村良介)
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theme : 香川
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tag : 讃岐國一宮 田村神社 七五三 菊花展

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