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(52)飯田郷 郷社 岩田神社

岩田神社の本殿

岩田神社の本殿
岩田神社の本殿

岩田神社の本殿

岩田神社(弦打村大字飯田字宮ノ窪) 参拝・奉幣
貞治二年(1363)三月五日  細川頼之 (足利幕府 初代管領)

貞治二年(1363)七月、京の都は不穏な空気で満ちていた。一年前、まだ少年の斯波義将が執事職に就き、その父親の斯波高経が後見人として幕政の中枢を握ったが、宿老の佐々木道誉や赤松則祐ら有力大名らがこの人事に不満を抱き、斯波父子を討とうとしているとの噂は、幕府政界の不安定ぶりを見せる形となった。
 将軍である足利義詮はこうした事態の中で手を打てずにいたところ、四国の細川頼之から書状が届く。さきに周防の大内氏を投降に導いた頼之は、さらに中国地方に勢力を広げる最大の反幕府勢力・山名時氏に幕府への投降を義詮に進言していた。中国探題として山名氏と長年戦ってきた頼之の進言だけに、義詮は山名と抗争を続けてきた赤松則祐とはかり、この件を頼之に任せることにした。
 義詮から全面委任の命を受けた頼之は家臣の飯田主水正を密使として山名時氏が進出している備後に送り込んだ。時氏は半信半疑で迎え入れ家来の小林民部を応対させるが、飯田から受け取った頼之の書状を読むと、息子たち(師氏・氏冬・時義・氏清)と重臣を集めて密談を始めた。「今や我らは山陰・山陽に手を伸ばし、京間近の丹波も押さえている。追い詰められているのは幕府ではないか。」と師氏はあざ笑うが、時氏は「この辺りが潮時かも。」 と息子や家臣たちを驚かす。
時氏は「頼之が清氏を討ったことで四国全土がほぼ彼の支配下に収まり、先に大内氏を投降させたことで山陽・山陰でも巻き返してくると読んでいた。また南朝勢力も退潮著しく、足利直冬もその勢力を後退させていた、ここで幕府と和睦を結び、所領を認めさせて確固たるものにするほうが得策、元弘の乱が起こる以前は上野の山名というところで民百姓のような暮らしをしていた…それが乱世に乗じて齢六十五までにいくつもの国を手にし、幕府と張り合える大名にのし上がったのだ。過ぎた高望みをした者は必ず身を滅ぼす。」時氏は、息子たちを諭した。
 飯田某は頼之のもとへ帰り、山名時氏が幕府への投降に前向きであると報告した。ただし時氏は自らの実力で切り従えてきた伯耆・因幡・美作・丹後・丹波の守護職の幕府追認を条件として出してきた。頼之は、その要求を受け入れるようにとの意見も添えて義詮に報告を行う。
 結局この年の九月、山名時氏は幕府に恭順の意を示し備後から伯耆に戻った。残された足利直冬は、石見へと引き返していった。中国地方の2大勢力・大内氏と山名氏が幕府に形ばかりの投降、実質的に和睦)をしたことで、幕府は軍事的な脅威から解放されることとなる。
 年が明けて貞治三年(1364)二月。細川頼之は上京した。
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